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慶喜

東京裁判で裁かれた『日本の侵略戦争論』と『A級戦犯7人』 

2016年08月08日 外部ブログ記事
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絞首刑後、盗んだ遺骨を極秘に埋葬

戦犯7人の絞首刑が巣鴨プリズンで執行された
 ☆(東条英機、武藤章、木村兵太郎、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、広田弘毅)氏7人
処刑は午前零時から始まり、33分後には終了
東京裁判は、正当性のある裁判と判決だったのだろうか?
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆東京裁判、ヤフー回答を引用
 ☆詳細本で確認ください








A級戦犯(ネットより画像引用)

横浜久保山火葬場で荼毘(
火葬場を管轄する飛田火葬場長が、火夫に依頼しアメリカ兵の目を盗んで遺骨の一部を奪い取った
東京裁判での弁護士三文字正平氏と火葬場に隣接する興善寺住職の市川伊雄の依頼によるものでした
連合国側は、遺骨を、散骨する可能性が高いと考え、飛田火葬場長に遺骨の入手を頼んだ
入手された遺骨は7つの骨壺に入れられ隠したが、アメリカ兵が発見して没収
粉々に粉砕され、火葬場付属の共同骨捨て場に捨てられ、そのあと飛行機から太平洋上に撒かれた

共同骨捨て場から7人の遺骨と思わねる骨片を集めて保管
昭和24年遺骨を、遺族に返還した
遺骨はその後、神奈川県三ケ根山山頂の「殉国七士墓」、長野市赤沼の「七光無量寿之墓」に分骨された
三ヶ根山に墓が設けられたのは、埋葬場所を探していると聞いた地元の県議がこの地を推薦した

殉国七士の墓
三文字弁護士らが中心となり建立された三ヶ根山山頂の墓
遺骨は当初、興亜観音堂にひそかに安置されていた
昭和35年にこの墓所がつくられ、分骨して納められた

東京裁判の国際的評価
インドのパール判事は東京裁判で日本の無罪を訴えた
2年後マッカーサーはトルーマン大統領に「東京裁判は誤りであった」旨を告白
アメリカ上院の軍事外交合同委員会も、東京裁判で裁いた日本の侵略戦争論を全面的に否定している
東京裁判を裁いた裁判長も、この裁判は法に準拠しない間違った裁判で あったことを認めている
世界の国際法学者で、東京裁判をまともに認める学者など一人もいない
パール判事の立論こそが正論であるとし、パールの名声は国際的に高まった

東京裁判で裁いた太平洋戦争?
判決理由の過ちは、日本の責任ではない
戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも 明瞭です
アメリカは、日本に対してABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し挑発した
日本に要求書としてハルノートを突きつけてきた
アメリカこそ開戦の 責任者である

「東京裁判で果たしたパール判事の役割忘れない」 モディ首相談
インド人が、日本に来てパール判事の話をすると尊敬される
日本が欧米に立ち向かわなかったら、アジアは植民地になっていただろう
中国、韓国以外のアジアの諸国は、日本に感謝している

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