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71年前の今朝8時15分、人類史上絶対悪の惨劇が行われました。広島平和祈念式典で広島市長の平和宣言です。 

2016年08月06日 外部ブログ記事
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71年前の朝、8時15分、
広島の上空から、投下された原子爆弾が、
多くの人の命と生活を奪い、
戦後、多くの人の生活を苦しめました。

71年後の今朝、広島市で
平和記念式典が行われ、          
その時、広島市長により出された「平和宣言」です。


【平和宣言】
1945年8月6日午前8時15分。
澄みきった青空を切り裂き、
かつて人類が経験したことのない
「絶対悪」が広島に放たれ、
一瞬のうちに街を焼き尽くしました。
朝鮮半島や、
中国、
東南アジアの人々、
米軍の捕虜などを含め、
子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし、
その年の暮れまでに14万もの尊い命を奪いました。

辛うじて生き延びた人々も、
放射線の障害に苦しみ、
就職や結婚の差別に遭い、
心身に負った深い傷は
今なお消えることがありません。
破壊し尽くされた広島は
美しく平和な街として生まれ変わりましたが、
あの日、
「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、
歴史と共に育まれた
伝統文化は、二度と戻ることはないのです。

当時17歳の男性は
「真っ黒の焼死体が道路を塞(ふさ)ぎ、
異臭が鼻を衝き、
見渡す限り火の海の広島は生き地獄でした。」
            と語ります。

当時18歳の女性は
「私は血だらけになり、
周りには背中の皮膚が足まで垂れ下がった人や、
水を求めて泣き叫ぶ人がいました
            と振り返ります。

あれから71年、依然として世界には、
あの惨禍をもたらした
原子爆弾の威力をはるかに上回り、
地球そのものを破壊しかねない
1万5千発を超える核兵器が存在します。
核戦争や核爆発に至りかねない
数多くの事件や事故が明らかになり、
テロリストによる使用も懸念されています。

私たちは、この現実を前にしたとき、
生き地獄だと語った男性の
「これからの世界人類は、
命を尊び平和で幸福な人生を送るため、
皆で助け合っていきましょう。」という呼び掛け、

そして、血だらけになった女性の
「与えられた命を全うするため、
次の世代の人々は、
皆で核兵器はいらないと叫んでください。」
との訴えを受け止め、
更なる行動を起こさなければなりません。

そして、多様な価値観を認め合いながら、
「共に生きる」世界を目指し
    努力を重ねなければなりません。

今年5月、
原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問した
オバマ大統領は、
「私自身の国と同様、核を保有する国々は、
恐怖の論理から逃れ、
核兵器のない世界を追求する
     勇気を持たなければならない。」と訴えました。

それは、被爆者の
「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」
という心からの叫びを受け止め、
今なお存在し続ける核兵器の
廃絶に立ち向かう「情熱」を、
米国をはじめ世界の人々に示すものでした。
そして、あの「絶対悪」を許さないという
ヒロシマの思いが
オバマ大統領に届いたことの証しでした。


今こそ、私たちは、
非人道性の極みである「絶対悪」を
この世から消し去る道筋をつけるため
にヒロシマの思いを基に、
「情熱」を持って「連帯」し、
行動を起こすべきではないでしょうか。

今年、G7の外相が初めて広島に集い、
核兵器を持つ国、持たない国という立場を超えて
世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛け、
包括的核実験禁止条約の早期発効や
核不拡散条約に基づく核軍縮交渉
義務を果たすことを求める宣言を発表しました。
これは、正に「連帯」に向けた一歩です。

為政者には、
こうした「連帯」をより強固なものとし、
信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、
「情熱」を持って臨んでもらわなければなりません。
そのため、各国の為政者に、
改めて被爆地を訪問するよう要請します。
その訪問は、オバマ大統領が広島で示したように、
必ずや、被爆の実相を心に刻み、
被爆者の痛みや悲しみを共有した上での
決意表明につながるものと確信しています。

被爆者の平均年齢は80歳を超え、
自らの体験を生の声で語る時間は
           少なくなっています。
未来に向けて被爆者の思いや言葉を伝え、広めていくには、

若い世代の皆さんの力も必要です。
世界の7千を超える都市で構成する平和首長会議は、
世界の各地域では20を超えるリーダー都市が、
また、世界規模では広島・長崎が中心となって、
若者の交流を促進します。
そして、
若い世代が核兵器廃絶に立ち向かうための思いを共有し、
具体的な行動を開始できるようにしていきます。

この広島の地で
「核兵器のない世界を必ず実現する」
との決意を表明した安倍首相には、
オバマ大統領と共に
リーダーシップを発揮することを期待します。

核兵器のない世界は、
日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する世界でもあり、
その実現を確実なものとするためには
核兵器禁止の法的枠組みが不可欠となります。
また、日本政府には、
平均年齢が80歳を超えた被爆者をはじめ、
放射線の影響により
心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

私たちは、本日、思いを新たに、
原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、
被爆地長崎と手を携え、世界の人々と共に、
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて
     力を尽くすことを誓います。

               平成28年(2016年)8月6日
                  広島市長 松井 一實


       71年前と言えば、私は2歳、
        もの心付いた戦後の混乱期は
        記憶にありますが
        原爆投下に、ついては、戦後、様々聴く機会があって
         広島市にも以後何度も訪れました。
          私の小学生時代の恩師が、
         広島原爆被爆者で、その分、命を人を慈しみ、
          私たち生徒を慈しまれ、私も悪戯小僧だったのですが、
           優しく、粘り強く、指導して下さいました。
           
           今、被爆者が高齢化して、
          原爆、核兵器の恐怖が“風化”する危険が叫ばれています。
           このブログでも、当時の被爆者も目撃談等を
      次号以下に載せたいと思って居ますので、お読み下さい。m(_ _)m

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