メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

真如苑と大日如来 

2011年02月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



2/3 は「真如苑」の東京支部で「節分会」に参坐。ビデオで
教祖が「成田山新勝寺」や「京都醍醐寺」と法縁を結んでいく
過程を知る。開祖真如教主は、まず「運慶作の不動明王」像を
入手したことから「成田不動尊」の一講中として立教した。

しかし、寺の僧侶としての資格を得るため、浦野法海師の紹介で、
真言宗の醍醐寺で得度受戒する。真言密教の本尊は「大日如来」
なのだが、真如教主は「大般涅槃教」を依経として「釈迦の涅槃像」を
自ら謹刻し、それを本尊としてきた。

そしてである。2008年、「運慶作の大日如来像」がニューヨークで
オークションに出され、真如苑が 14億円で落札した。この
「大日如来」像は、重要文化財級のものだったが、個人の所蔵で、
重文の指定を受けていなかったため、海外に流れるところだった
のを 真如苑が買取り、国外流出を免れたとして 話題になった。

こうした仏像には不思議な因縁がつきまとう。真如苑としては、
醍醐寺派の真言密教の法脈を継ぐ教団として「大日如来」像が
必要だった。しかも、すでに所有している「不動明王」像と同じ
「運慶」の作だ。今の時代に、国宝級の像が入手できることは
有り得ぬ奇跡だ。二体の像は収まるべき所を得て 収まったのだ。

虚無僧の元は 高野山に始まる。中世に、大日如来の頭上に
現れるという「一字金輪」の呪「ノーマクサンマンダ、ボタナン
ボロン」を 108篇 唱える念仏集団があって「梵論字、梵字、ボロ」と
呼ばれていた。その「ボロ」が、近世 虚無僧と合体していったと
私は考えている。

2/5 立川の真如苑総本部「親苑」に帰苑。「親苑」の上に太陽が
輝き、その周りに「大日輪」が出た。これで、ますますのパワーを
得た気がする。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ