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福島原発事故への怒り 

2016年06月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

たんぽぽ舎メルマガより転載






1.「小さき声のカノン」を見たラトビア(バルト三国)からの若者 |  映画は福島に残った子どもとその親たちの放射線と |  内部被曝との戦いの記録 |  チェルノブイリ被害の若者が今も苦しんでいるのに |  なぜ日本は子供達を避難させないか? └──── 濱口(ドイツ在住)皆さんかなり寂しくなる記事ですが下の記事を読んでください。ほんとうの話です。◎ ドイツに住む、ラトビアから移住したSさんは、27歳。日本語が抜群にうまい。そのこともあり、今年の3月に鎌仲ひとみ監督をデュッセルドルフにお招きして反原発映画「小さき声のカノン」の上映を企画していたので、彼女に見に来るようにと誘った。 実は「さよなら原発・デュッセルドルフ(SGD)」の大勢の有志が一丸となって短期間にそのドイツ語の字幕を完成させたのが自慢で、その成果を見てもらいたかったのだ。 政治には大して興味がないという彼女が即座に「必ず見に行く」、といった。そうだ、彼女はバルト三国のラトビアの出身であった。 この映画にも出てくるベラルーシやその北のリトアニアともに、チェルノブイリ原発事故直後、最初の雲が通った国である。当日は恵光ハウスという仏教寺での上映であったが、映画を見に来てくれた方々が多く、椅子を追加せねばならぬほどの人出であった。Sさんもわざわざ私のところまで挨拶しに来てくれた。◎ 2週間ほどしてから、Sさんに会う機会があった。映画の感想を聞いてみた。興奮している。当日は上映後、アンケートなど書ける状態じゃなかった、という。驚きと失望とで頭が混乱して何日間も考えがまとまらなかった、と。 映画を見る前は、福島の汚染地域から避難した人々の避難生活についての報道だと思っていた、と語る。チェルノブイリの経験があることから日本の政府もそれなりの対策をとったに違いない。その人々の日常に関するドキュメンタリーであろう、と想像していたらしい。
 しかし、驚いたことに、映画は福島に残った子どもとその親たちの放射線と内部被曝との戦いの記録であった。
 「チェルブイリでは、旧ソ連政府は強制的に子供のある家族を避難させたではないか。後にその様子をテレビで見て、可哀想だと同情した幼い頃の私に母は、放射能とは『姿の見えない殺人』だ、とその危険性を説明してくれたではないか…」
 Sはチェルノブイリ事故2年後の1988生まれであるが、その後遺症は心身とも現在までつきまとっている。忘れられるものではない。祖父は当時シベリアの原子力発電所で働いており、祖母もリトアニアのイグナリナ原子力発電所の隣にある病院に努めていたことから放射能に関する情報が入ってきた。因みに、リトアニアは汚染除去労働者の自殺率が高いことで知られている。
 彼女自身は小さい頃から心臓に欠陥があり、医師に「原因のわからない」病気と診断された、という。その医師は、チェルノブイリ原発事故後にバルト海南東岸に「原因のわからない病気」が増えている、といっていた。 そして、学校の同級生の間でも、免疫異常やアレルギー、皮膚炎、甲状腺や肺などの「原因のわからない」病気を持っているものがほとんどであった、という。◎ これだけ、チェルノブイリの被害になった若者が今だに苦しい思いをしているのに、なぜ日本の政府や医師は子供達を避難させないで、人の命に関わることについて事実を隠すのか理解できない、という。
 人道的でなく、人間としても失格だと。映画に出てきた人々を見て、心が傷んでならなかったらしい。映画では、「子どもたちの未来」という言葉がよく出てきたが、彼女は、悲惨な表情で「可哀想に、彼らには未来がないですよ…」と囁いた。
 2ヶ月してからまた彼女に会う機会があった。上記の映画の感想を日本の脱原発団体に出してもいいか、と尋ねた。もちろんいいという。彼女も「小さき声のカノン」を多くのラトビアにいる友達に見てもらいたいので、ネットを通して紹介したらしい。Youtubeで映画を見た彼らも福島の汚染された地区に未だに人が住んでいることを知らず、非常に驚いたと。
また、「日本人はコワイ!」と激怒したらしい。

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