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吉原 

2016年06月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



江戸唯一の幕府公認遊郭

三百年も存在しつづけた江戸文化発信基地
吉原内には大小214の妓楼
遊女にもランクが
浄閑寺(遊女が眠る寺)
歴史REAL「大江戸八百八町」記事参考&引用








吉原(歴史REAL「大江戸八百八町」記事引用)

三百年も存在しつづけた江戸文化発信基地
家康が世を去った翌年、幕府は、日本橋の近くに遊郭を認めた(元吉原)
明暦の大火を機に、江戸のはずれだった浅草寺裏手に移転させた(新吉原)
一般的に吉原といえば新吉原をさす
昭和三十三年に幕を閉じるまでの三百年以上も存在し、堀で囲まれた不夜城でした

新吉原遊郭は、浅草寺の裏手
吉原田んぼの真ん中に、四方を大溝という幅五間の掘割に囲まれていた
中央は仲の町というメインストリート、唯一の出入り口は大門
桜は季節を先取るために樹木ごと植えられては散る前に取り払われた
日本堤には吉原客相手の茶屋や出店が並んでいる
妓楼は、遊女たちにとっては生活の場でもあった

吉原内には大小の妓楼
高級店から底辺までさまざまなランクがあった廓内
最高級妓楼⇒高級遊女を抱えた大見世、
最低妓楼⇒最低ランクの遊女が客を取る羅生門河岸と呼ばれた
吉原には、遊女を抱える大小214の妓楼があった

遊女にもランクが
最上級遊女は、一流の礼儀作法から芸事、教養まで身につけていた
大名を袖にするほどの「粋」と「張り」という独自の意気地を信条にしていた
彼女たちは江戸の女性たちにもとっては憧れの存在でした
浮世絵に描かれた姿は巷に大いに影響を与えた

浄閑寺(遊女が眠る寺)
無縁仏として亡くなった遊女が数多く葬られた
安政の大地震で被害にあった遊女が投げ込まれ葬られたことより別名投げ込み寺

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