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軍服ズボンの下前はボタン留め「慰安婦はねつ造」高校教師と生徒が論争に 

2016年06月04日 外部ブログ記事
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 『前回のメールに書いた「ネット右翼」の生徒について、数人の方々から反響をいただきました。
 特に教育関係の仕事をされている方々からは、同じような学生に手を焼いていらっしゃる様子が伝わってきました。最近の青年たちの「劣化」は深刻です。

 その生徒が、南京大虐殺が起きた当時に捕虜を処刑することは国際法上禁止されてはいなかったと、「びっくりポン」なことを私に言ってきたのです。
私が、いくらなんでもそれは違うでしょう、古代ならいざ知らず、20世紀前半では、捕虜の処刑は国際法で禁止されていたよ、と反論したのですが(ハーグ陸戦法規)、その生徒は納得しませんでした。
それどころか、そこから発展して、南京大虐殺や慰安婦証言の信ぴょう性をめぐり、「確証がない限り日本軍に責任はない」という立場の生徒と、「仮に確証がなくても道義的政治的責任は免れない」という立場の私との間で大論争に発展してしまったというわけです。彼は、慰安婦はすべて娼婦であって強制連行の事実は無く、南京大虐殺も捏造だ、という立場です。
 その認識に合致しない認識は、すべて根も葉もない「いいがかり」(つまり冤罪)で、(連合国による)プロパガンダのせいだと主張します。
 したがって彼の立場では、娼婦ではない女性が慰安婦にされたという「体験談はすべて捏造」ですし、南京大虐殺の「記録写真もすべて捏造」ということになります。』

というメールがある高校教諭から届きました。
その生徒は慰安婦の前で「兵士がズボンのチャックを下げた」と言っているが、当時の軍服ズボンはボタン留めであったので、この証言はウソだと噛みついてきたそうです。

そこで管理人はファスナーのメーカーYKK吉田工業の沿革を調べてみると、戦前から軍隊に納品していたことが分かりましたので送信しました。
・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・・・・
1937年(昭和12年)この頃から、北米・中南米に向けてファスナーが大量に輸出されるようになり、ファスナーはようやく新興産業として、わが国の実業界の脚光を浴びるようになりました。しかし昭和16年に始まった太平洋戦争以来、一部、軍へのファスナー納入業者を残しほとんどの業者は転・廃業を余儀なくされました。
・・・・・・・・引用終わり・・・・・

そうしましたら『兵のズボンはボタンでも将官のズボンはファスナーだったかも知れないとか、そんな可能性を留保する思考はまったくありませんでした。「仮に軍にファスナーが納入されていたとしても、軍服には使われていない」の一言で、一蹴されてしまいました(笑)。兵のズボンはボタンでも将官のズボンはファスナーだったかも知れないとか、そんな可能性を留保する思考はまったくありませんでした。』


そこで管理人は、昨日「しょうけい館」の開架図書から「日本海軍軍装図鑑」と「日本軍装写真集」に軍服に使用している写真と解説文がありましたのでPDFで送信しました。

教諭から「 さっそく貴重な資料ありがとうございました!すごいですね。DSCN0832では、「下前をチェーン・ファスナー留めにし」とハッキリ書いていますね。これでネット右翼からの「捏造」呼ばわりも相当疑わしくなってきます。今度の機会に例の生徒に示してみます。本当にありがとうございました。」との返信がありました。

「日本軍装写真集」より




「日本海軍軍装図鑑」より(しょうけい館のコピー機はモノクロのみなのでカラーはデジカメで撮影)











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