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平成の虚無僧一路の日記

1/28 虚無僧 82日目 

2011年01月29日 外部ブログ記事
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昨晩は、金曜日。冬山に行く若者が すごい数。スキーより
スノーボードを持っている人の方が圧倒的。こう流れが大きく
速いと反応はイマイチ。それでも、仏はあらしゃった。お一人様。

そして、筝のYさんにも。深夜 女性と連れ立って帰る虚無僧に
振り返り見る人も無し。誰も無関心。

さて、富士登山に喩えれば八合目を越えたところ。
遠望する富士は美しい。二合目、三合目、樹海の中に踏み迷い、
山頂が見えなくなる。五合目で視界が開け、下界も見下ろせるが、
山頂はまだまだ遠い。

そして八合目から「胸突き八丁」の峻烈さ。挫折したがる心に
鞭打ち、ただ無我になって歩を進めるのみとなる。今の心境だ。

そして 見えないものが 見えてきた。

「虚無僧は薦筵(こもむしろ)を持って野宿する僧だから“薦僧”。
ぼろを着ているから暮露(ぼろ)」と云われてきた。ならば
「“乞食”と どこが違うのか」という命題に、糸口が見えて
きたのだ。

丁度、真如苑の寒修行とも重なった。真如苑では、読経の最後に
「のうまくさんまんだ ぼたなんぼろん」と「一字金輪の呪」を
唱える。真言だ。その意味も知らずに唱えていたが、最高の力を
発揮する呪とわかった。鎌倉から室町にかけて、「ぼたなんぼろん」
を108回唱える「念仏集団」があった。彼らを「ぼろん字」と
呼んだのだった。

「この世の一切の悪を善に変える呪文」それが「ぼたなんぼろん」
「薦僧」は「ぼろん字、梵字」と呼ばれた念仏集団を吸収したのだ。

そんな気持ちで尺八を吹いていると、不思議と寒さも感じなく
なった。

詳しく知りたい方は、どうぞ、続きを開いてください。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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