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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧の語源は「薦僧(こもそう)」 

2011年01月29日 外部ブログ記事
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「虚無僧」の語源は「薦僧(こもそう)」。「薦を負い、
野宿する僧」、ようするに乞食僧のことだ。その初見は
『大内氏壁書』。大内氏は、室町・戦国時代、周防国
(山口県)を本拠に中国地方を支配した大名。その「掟書」。
文明18年(1486)というから、一休が88歳で没した5年後。
「禁制」の中に「薦僧、放下、猿引は、当所ならびに近里
より追い払うべし」とある。

「薦僧」は「放下」や「猿回し」と同等にみられ、「見つけ
次第追い払え」というのだが、「嫌われ者」というより、
他国から流入してくる不審者を警戒してのことのようだ。

翌 文明19年には、「異相の仁」、そして「笛、尺八、音曲」は
「夜中路頭往来禁止」となっている。

一休と同時代の横川景三が編纂した国語辞典の『節用集』には、
「薦僧(コモソウ)・普化(同)」とあって、「普化」と書いて
「こもそう」と読ませている。一休の時代には、薦僧と普化
とが同一視されていたのだ。

その50年後、1500年代前半に書かれた『三十二番職人歌合』の
絵には「こも僧」、詞書きには「虚妄僧」。

江戸時代初期に書かれた『一休諸国物語』には「一休が
普化僧となって」とあり、江戸初期では「虚妄想、普化僧」
などと書かれていた。

では「虚無僧」と書いたのは、何時、誰なのか。調べているが
不明。活字になったもの、後世の写しでは「虚無僧」と変えて
いる場合がある。「原本」を当たってみると「こもそう」
だったり「変体かな」の「古毛そう」だったりするのだ。

一休が尺八を吹いたことは『狂雲集』から、あくまで「吹いた
だろう」の想像の域だが、一休は「薦僧」として吹いたのか、
「普化僧」として吹いたのか、あるいは一僧侶の趣味として
吹いたのか。それが、今の私の関心事である。

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