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2016年05月21日 外部ブログ記事
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恥を意識する日本人、罪を意識する英米人

恥の文化(日本人)「武士は喰わねど高楊枝」「恥を見んよりは死をせよ」「人は一代、名は末代」
罪の文化(欧米人)「清らかな良心は偽りの非難を怖れない」
日本にはキリスト教のような神様はいません、日本人には神との約束など存在しません
神の代わりにあるのは「世間」です、日本人は世間と約束します
「抜け道・詭弁・自己理論の正当性?」行使の記者会見?、特に為政者に求められる「恥の文化」
安藤 邦男氏(英文学者)ブログ参照&引用








為政者(ネットより引用)

「恥の文化」の日本
恐ろしいのは世間の目
 ☆多神教の日本では、神や仏の意識はそれほど強くはありません
 ☆強く意識するのは世間の目です
 ☆怖いのは神や仏ではなく、他人の目であり、他人の口です
 ☆他人に笑われたくない、恥をかきたくない、これが日本人の行動を規定するというのです
恥の文化では、罪を告白しても心は軽くならない
恥の文化では、幸福を祈願する儀式はあるが、贖罪の儀式はありません

「恥の文化」の「功」の面
人前では恥をかきたくないという意識から、義理を重んじ、人情を大切にする気風が生まれます
名誉を重んじ、大義のために一命を投げ打つというような、高潔な行動に繋がります
「武士は喰わねど高楊枝」「恥を見んよりは死をせよ」「人は一代、名は末代」

「恥の文化」の「罪」の面
世間の目(恥の基準)が変われば、自分の恥の感じ方も変わるということになります
柔軟な生き方といえばいえますが、一面では狡い、功利的な生き方ということも出来ます
悪い行いが世間に知れない限り、心は悩まないのです(知れても居座る人もいますが?)

「罪の文化」の英米人
神の戒律に反すると強い罪の意識を持ちます、キリスト教徒には、心には常に神がいるのです
キリスト教文明の欧米では、行動の規範には宗教の戒律があり、神の戒律を守れば、心は清澄です
罪の文化では、罪を犯したものはそれを告白することで心の重荷を下ろします

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