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仏像と稲荷信仰(5) 

2016年04月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



閻魔様と十王思想と稲荷信仰

狛犬の起源とその意味
閻魔様と十王思想と追悼供養
日本での、荼枳尼天の稲荷信仰との習合
稲荷神の信仰
やさしい仏像のはなし(作者:まほろば)ブログ参考&引用
















仏像と稲荷様(ネットより引用)

狛犬(神社、仏閣の入り口に配置されています)
古代インドで仏像の両脇にライオンの像を置いたのが起源です(エジプトスフインクスと類似)
片方は口を閉じ、片方は口を開いてます、一対の狛犬のように、気持ちを合わせるという意味です
右の獅子像が「阿形(あぎょう)」口を開く、左の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じる
「あ」から「ん」の間のすべてのもの、森羅万象のすべてを含むという意味が有ります
お寺の門によくある仁王様も同様に、片方は口を開け、片方は口を閉じています

閻魔様と十王思想
閻魔様は、ヒンドゥー教の神様で、死後の世界の王様です
十王とは、道教や仏教の仏で、地獄において亡者の審判を行う裁判官です
人間を初めとするすべての衆生は、没して後、七日ごとに審理を受けます
五七日の閻魔王が、最終審判となり、ここで死者の行方が決定されます
仏事の法要は、七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪の嘆願を行うためです
十王の裁判の裁きは、閻魔王の宮殿の「浄玻璃鏡」に映し出される「生前の善悪」を証拠に推し進められます
この世に残された遺族による追善供養の態度も「証拠品」とされます

追善供養
それぞれの、その仏様に対して行うのが正しい方法です
鎌倉時代には、十王をそれぞれ十仏と相対、江戸時代には十三仏信仰なるものも生まれました
十三仏信仰の審理では、更に三回の追加審理がされます(七回忌・十三回忌・三十三回忌)
江戸時代には、村々に閻魔堂ができ、閻魔像や浄玻璃鏡、業秤などがおかれいました

荼枳尼天(だきにてん)
仏教の神(天)、インドのヒンドゥー教のヤクシニー(半女神)に由来します
白狐に乗る天女の姿で表され、剣、宝珠、稲束、鎌などを持物とします

日本での、荼枳尼天の稲荷信仰との習合
狐は、古墳や塚に巣穴を作り、時には屍体を食うことが知られています
狐は、人の死など未来を知り、これを告げると思われています
荼枳尼天は、この狐との結びつきにより、日本では神道の稲荷と習合するきっかけとなりました
寺院の鎮守稲荷の多くは荼枳尼天を御神体としてます

お稲荷さん(稲荷神、稲荷大明神)
日本古来の神様で、白い狐の姿をしてはいるが狐幽霊意では有りません
狐や狼は、田畑を荒らす害獣を食べるので田畑の守護神として祭られてきました
稲荷の語源は、稲がなる、稲で荷車がいっぱいになるので、商売繁盛の神とされました
狼・猪・蛇・猿などを神として崇拝する神道が弱まるなか、稲荷信仰だけが日本全国に広まりました

稲荷神様と稲荷信仰
稲荷神は、日本における神の1つです
京都伏見稲荷に神様が降りた日、毎年、伏見稲荷をはじめ各地の稲荷神社で祭がとり行われます
稲荷神社の総本社は伏見稲荷大社で、京都一帯の豪族秦氏の氏神です
五穀豊穣や福徳を祈願するものですが、キツネが稲荷神の使いです
江戸時代には最も盛んな信仰となりました
三大稲荷豊川稲荷は、曹洞宗の寺院で、本尊は千手観音様ですが、稲荷様も祭られていて稲荷様の方が有名です

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