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徳川家康「たぬきおやじ」「腹黒」のイメージ? 

2016年04月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



徳川家康「謎の15年」

織田信長や豊臣秀吉にはできなかった「平和国家の建設」を成し遂げた偉大な人物です
「平和国家の建設」が、徳川慶喜の目的だったのでは
『厭離穢土欣求浄土(おんりえど、えんりえど)』
作家の安部氏が現場で、貴重なトークを展開しています
BS・TBS『高島礼子・日本の古都』番組参考&引用




















徳川家康(『高島礼子・日本の古都』番組のテレビ画面他引用)

家康はどのように天下泰平の国づくりを成し遂げたのか
秘密は「謎の15年」(関ヶ原の戦いから大阪夏の陣)に隠されていた!
大坂夏の陣で豊臣家が滅亡するまでの15年
「平和国家の建設」の為、家康は15年間に何を行ったのか?

小説「家康」の作家安部氏が語る
15年間の謎を解くカギ、それは京都での数々行った戦略でした
「この国を浄土に変えよう」と家康像を打ち出す作家の安部氏

厭離穢土欣求浄土(おんりえど、えんりえど)
徳川家康が馬印に用いた言葉です
徳川家康が、桶狭間の戦いで今川義元討死の後、菩提寺である三河国大樹寺へと逃げ隠れた
前途を悲観した家康が、自害を試みるが、菩提寺の住職が「厭離穢土欣求浄土」と説き切腹を思いとどまらせた
戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている
その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成す

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