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徳川吉宗は、幕府の危機を救った中興の祖 

2016年04月21日 外部ブログ記事
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八代将軍・徳川吉宗は暴れん坊将軍ではなかった!?

第八代将軍徳川吉宗は、幕府の危機を救った実直な政治家でした
徳川御三家紀州藩藩主の子として生まれたが、世継ぎとは無縁の四男坊でした
吉宗は、33歳で将軍に就任、どのようにして将軍にまで上り詰めたのか?
『バブル経済の崩壊』の江戸幕府を危機的状況を見事に打破した吉宗
BS11(尾上松也さんの古地図で謎解き!)の番組参考&引用


















徳川吉宗(「尾上松也さんの古地図で謎解き」番組テレビ画面他より引用)

徳川吉宗の生誕から紀州藩時代
徳川御三家の紀州藩主徳川光貞の四男として生まれ、徳川家康は曾祖父に当たる
父と2人の兄の死後、紀州藩主を継ぎ藩財政の再建に努め成果を挙げた

徳川吉宗将軍へ
徳川家継の死により、第2将軍秀忠の血をひく徳川将軍家の男系男子が途絶える
第六代将軍家宣の正室・天英院の指名により御三家出身の吉宗に宗家を相続させる
徳川吉宗、江戸幕府第八代将軍に就任した

徳川幕府の状況
徳川綱吉の時代より、江戸の経済が上向き、バブルに向かった進んでいた
庶民の間でも『染めた着物』『歌舞伎』『燈火(油)』等使用し経済が発展する
経済活動維持の為、貨幣の需要も増加し、幕府は純度を下げた貨幣を発行する
市場には、純度が異なる、同価値の2つ通貨が流通し市場は混乱する
新井白石の改革で、通貨の純度を高めるた、通貨流通が減少し経済は疲弊する
正に『バブル崩壊』した時期の、徳川吉宗将軍就任でした

徳川吉宗の施策
幕府権力の再興に務め、増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策
「上げ米」制度導入し、幕府の財政収入確保する
食料確保目的として「さつまいも」の普及
庶民の福祉、娯楽を考慮し、飛鳥山公園、小石川養生所等インフラの整備
公事方御定書の制定、目安箱の設置などの享保の改革を実行した
徳川家重に将軍の座を譲った後も大御所として権力を維持した
財政に直結する米相場を中心に改革を続行していたことから米将軍(八十八将軍)とも呼ばれた

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