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尺八と横笛吹きの独り言

「筑後酒造り唄」 

2016年04月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●筑後酒造り唄をハ取り譜面に変換して作ってみましたが・・・・youtube音源を聞きますといくつか誓っていました。さっそく修正。これがその譜面。 

繰り返しの箇所が違っていたり、伸ばしが一拍少なかったり、言い回しが違っていたり・・・・よくあることです。
以前提示したものも差し替えました。           

 
●「筑後酒造り唄」というお酒(純米酒)があったのですね。
アルコール度数15 度 容量1800 ml 価格2415 円(税込)
原料米、米麹
一度、飲んでみたいものだ。
時計の無かった時代、酒造りでは、、酒造り唄を何回唄うかで時間を計っていたそうです。今も昔ながらの手造りで醸造した純米酒です。
写真はhttp://www.fukuoka-sake.org/encyclopedia/detail.php?ID=370より転載。

●筑後地方とは・・・・
福岡県を4つに分割した地域(福岡・北九州・筑豊)のうちの一つで、福岡県の南部地域の呼称。核となる都市には久留米市・大牟田市・柳川市などがあり、そのうち久留米市が筑後地方で最大の都市である。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

●筑後酒造り唄はどうしてできたのか?
九州福岡県久留米市は西南戦争後の不況からの脱出で灘から酒造りの杜氏を招いた。
そこに酒造り唄が持ち込まれた。
兵庫県の「灘の酒造り唄」が御本家であろう。作曲:遠藤実 作詞:星野哲郎 

福岡県久留米市城島地域の酒造りは幕末に本格的に始まったといわれ、西南戦争の「特需」によって酒蔵の数も急増した。西南戦争後は不況に陥り、生き残りをかけて新しい販路を模索した。当時、全国的な人気は神戸の灘の酒だった。
 その灘から1884(明治17)年、杜氏(とうじ)たちを招き、技術指導を受けた。結果的には水質の違いなどによって思うような酒はできなかったが、その挫折の中から工夫を重ね、城島の酒を造りだすことに成功した。
 「筑後酒造り唄(うた)保存会」の会長、中園収司は言った。
 「この時、灘の杜氏は技術と一緒に酒造り唄も持ち込んだ。それが筑後酒造り唄の源流です」
 酒造りはいくつかの工程があり、それぞれの工程に合わせて歌も生まれている。「筑後酒造り唄」は精米した米を洗う作業歌「米洗い唄」から始まる。米をとぐ作業だが、手でなく足を使った。水をはった桶(おけ)の中の米を足で踏む。この作業は「荒踏み」「中踏み」「仕上げ踏み」と三つに分かれている
http://www.nishinippon.co.jp/feature/kayouibun/article/214336より抜粋。

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