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平成の虚無僧一路の日記

物乞いと托鉢どう違う? 

2011年01月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



乞食も虚無僧も、人々に「布施をしてあげよう」という
慈悲の心、菩提心を沸き起こさせるという点では同じか。
慈悲の心を呼び覚まさせた点では「タイガー・マスク旋風」を
巻き起こした人は偉い。今の私では 力及ばない。

「物乞い」と「托鉢」はどう違うのか、悩む私に、お二人の
方からコメントが寄せられた。

いつも私に適切なアドバイスをくださる「宴の桜」さん。

「虚無僧と乞食と何が違うかというと、尺八を吹くか吹かないか、
ではないでしょうか?音楽をする者は美しくなければならないと
思います。音楽とは美の追求、が原点では…? 
乞食の達観や迫力には感嘆はしても、音楽をする者にはそれは
求めるものではないんじゃないかと思います。一路先生には、
ホームレスになろうと野に下ろうと、道端で息絶えようと、
最後まで美しくあってほしいと思います」。

ありがとうございます。一休は墨染めの衣の托鉢僧ではあっても
天皇の子、「王孫」という自負、その美意識は最後まで捨てず、
「茶の湯、華道、能、尺八」といった日本文化の美を創生した
人です。そのことは、いつも私の頭の中にあります。京田辺市の
「酬恩庵・一休寺」の清楚な美しさこそ、私の追求する美です。


もうお一人。「ニセモン」というハンドルネームなので、ドキッと
したが。

「かわいそう」と憐れみをもってお金を入れられる人 
  → コジキ
「珍しい」「面白い」と思ってお金をいれられる人 
  → 芸人
「修行している姿を見て、この人に何とかしてあげたい」と思ってお金を入れられる人 
  → 托鉢

ありがとうございます。すばらしい解答。これは「ホンモノ」だ。
たしかに「寒いのにご苦労様」、「風邪ひかないように」「修行
がんばって」と声をかけて、喜捨してくださる方がほとんどです。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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