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平成の虚無僧一路の日記

髑髏(どくろ) 

2011年01月17日 外部ブログ記事
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NHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国』(1/16)。
豊川悦司「信長」は、どのように描かれるのか、興味深々。

「朝倉義景と浅井父子3人の髑髏の薄濃(はくだみ)」の
件は、なかなか 見事な扱いだった。今までのドラマでは、
「信長の異常性」として描かれているのが大半。

そもそも「薄濃」の一件は『信長公記』に「天正二年正月、
岐阜城にて酒宴を開き、肴として 朝倉義景・浅井久政・浅井
長政3人の髑髏を薄濃(はくだみ)にしたものを据え置き、皆、
酒を飲みつつ、謡い舞った」とある。「据え置いたのであって、
杯にして、酒を飲んだ」というのは、後世のフィクション。

薄濃(はくだみ)とは、髑髏を漆で固めた後、金泥などで薄く
彩色する。或いは金箔を貼って「箔濃」とも)。

ネットで見ると、詳しい人がいるものだ。
「薄濃」の風習は、司馬遷の「史記」に由来し、討ち取った敵に
敬意を表して、その勇気を自分に取り込む為に、髑髏を薄濃に
するというもの。趙の襄子も、敵対していた智白を薄濃にした
という。

今回の大河ドラマでは、この説を採用していた。 

日本では、戦で敵の首を取る。外国人から見たら「首狩り族」同様
奇習だ。その首は、女たちが、髪を梳かし、化粧を施してから、
主君に披露した。それを思えば、浅井、朝倉三氏の頭蓋骨を 金で
装飾したのは、最高の敬意かも。信長は、再三、浅井長政に降服を
勧めていたのだ。ドラマでも「浅井長政」には敬意を表している。
残虐非道な処置をするとは思えない。

密教の一つ「真言立川流」に薄濃の秘法があったという。また、
比叡山に「薄濃」を施す職人がいたという。高僧の徳を偲ぶために
行ったものらしい。

信長は、西周の武王の故事に基づいて「岐阜」と命名したのであるから、
「薄濃」の故事も知っていた。そして比叡山を焼き討ちした際、
捕らえた俗人の中に「薄濃の職人」がいたのかも。

豊川信長、なかなか好感がもてる。「噂にすぎん。言わせておけ。
己を信じよ」と。現代の若者へのメッセージでもあるか。

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