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田中久重(江戸時代から明治にかけての発明家) 

2016年02月07日 外部ブログ記事
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田中久重は「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」とも呼ばれた

田中久重は、芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の創業者
NHK歴史秘話ヒストリア番組を参考&引用








からくり人形(ネットより引用)

田中久重出生から京都時代
久留米市で、田中弥右衛門の長男として生まれた
大阪・京都・江戸で、からくに人形の興行を行い、その成功により日本中にその名を知られる
「弓曳き童子」と「文字書き人形」を作成、それを利用した興行が有名です
祇園祭の「山鉾」の車輪も開発したが、容易に回転出来るが、迫力無くなるので、採用されなかった

田中製造所の設立と晩年
現在の銀座に、電信機関係の製作所・田中製造所を設立
田中製造所は、東京電気株式会社と合併し、東京芝浦電気株式会社となり、現在の東芝の基礎となった
田中久重の言葉
 ☆「知識は失敗より学ぶ。
   事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである」


田中久重の考案品
万年自鳴鐘(和時計)、からくり人形
折りたたみ式の「懐中燭台」
圧縮空気により灯油を補給する灯明の「無尽灯」

万年自鳴鐘「万年時計」
世界初となる、様々な仕掛けを施した「万年自鳴鐘」を完成させた
「万年自鳴鐘」は、国立科学博物館に寄託された

からくり人形
「弓曳き童子」は修復・復元された後、産業技術記念館に所蔵されている
「文字書き人形」も、修復が施された上で、翌年の愛・地球博で展示された

「和魂洋才」とは
“日本の魂”を固く守りつつ、西洋の科学技術をうまく取り入れて同化させるという意味です
日本が「和魂漢才」によって平安朝文化が花開いた
明治維新後の日本の近代化は、「和魂洋才」によって成し遂げられた

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