メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

虚無僧は 放蕩息子の なれの果て 

2011年01月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



【誹諧・武玉川】に こんなのがあった。

6755 10-18 「尺八で 来る 親族の屑 」
 
解説に「放蕩息子の なれの果て」と。つまり、
「虚無僧は 放蕩息子の なれの果て」か。
ゲゲゲのゲ。私のことか?

母は言う。「私の遺言だと思って、(虚無僧)を
やめてくれ」と。「子供(私の娘)が かわいそうだ」と。

○○さんのコメントにも「ある意味で うらやましい
ことをしている」と。みな憧れはあっても、プライドが
邪魔して できないのだ。

「虚無僧はプライドを捨てる修行だ」と言うと、
母は「私は、プライドをもって生きてきた」と。

母に逆らう放蕩息子である。そういえば、虚無僧の
日本開祖は「法燈(ほうとう)国師」だったな。
(笑ってチョ)


☆「誹諧・武玉川」とは? 
「江戸時代中頃に流行った、川柳のようなもの。
 川柳ほど わざとらしさや毒がなく、脱力系・
 癒し系の良さがある」そうだ。

そう、虚無僧も「力を抜いて、癒し系」でござる。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ