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雑感日記

明石松平家のお殿様のお墓 

2015年09月20日 外部ブログ記事
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★ 昨日はお彼岸の墓参りに明石の長寿院まで出かけた。
明石藩松平家の菩提寺長寿院は明石天文科学館のすぐ隣に位置する。
独りだったこともあるが、ホントに久しぶりに、松平のお殿様の墓に行ってみることにした。
長寿院の一般のお墓は東側だが、松平家のお墓は西側にある。
お殿様のお墓がどんなものか、ご覧になったことがない方が殆どだろう。
子供のころから、伯父に連れられて長寿院にはよく来たものである。
戦前のことだが、松平家のお殿様のご子孫がお盆には、お参りに来られて、伯父宅に泊まられたりしていた。
 

 
 この様な門構えの奥の一隅が松平家のお墓である。
お殿様の戒名の文字数は数えられないくらいある。
動画に写してきたので、数えてみればいい。 
一般に居士号は9文字だが、それよりはずっと多い20文字以上で『大居士』で締められている。
 

 
 
 ★私の本籍は明石市上ノ丸である。
明石駅の前が外堀だが、東側の外堀が坂道の上のほうまで続いていて、その外堀の東側に面していた。 そこで生まれた。
 
 
 明石駅から北へ、いまはこんな立派な道になっているが、子供のころはここは道ではなかった。
人だけが歩ける小道があってその道を通って中学校に神戸まで毎日通っていた。
 

 
上ノ丸から明石のまちへ降りる昔の道である。
城下町特有の曲がりくねった道である。
向うに見えるのは明石淡路大橋なのである。
 

 
昔はこの道がメイン道路で下ったところが山下町だった。
懐かしかったので車で一回りしてきた。
 
駅前から一回り動画を撮ってきた。

 
★昨日は明石駅で、会社の旧友と待ち合わせをしたのだが、明石の同級生たちも半分は既に亡くなってしまって、明石に出てきても人に会うことは少なくなってしまった。
明石の野球部の連中は、高校卒業以来65年にもなるので、仕方がないのかも知れない。
カワサキの行事も、ひとしきり40周年が続いたりしたが、ぼちぼち50周年が来年あたりからスタートするらしい。
カワサキの二輪事業のスタートは明石での一貫生産が、昭和35年(1960年)だから、いつの間にか50周年は過ぎてしまっているのである。
私がカワサキで二輪事業に異動したのが、昭和36年だから、もう50年以上も前のことなのである。
 
そういう意味では、よく生きているものである。
 
 
 
 

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