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老いてなお

時の流れに身を任せ 

2015年08月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

毎夜、空襲警報で起こされず朝までぐっすりの毎日。或る日父親に連れられ麦藁屋根の小さな家へ行った、それは或る農家の物置。“この家を借りた、中を片ずけるから手伝え”と言われ毎日、積んである藁などを母屋まで運び、住めるように畳を入れ障子を張った。竃、水がめ、流し、バケツ、鍋、釜、茶碗、箸、布団などを買ったり貰ったりし、疎開しておいたカメラ、時計、着物、洋服、靴などを運び込み、やっと家族だけの生活が始まった。しかし、竃を使ったことの無い母親は悪戦苦闘の毎日、紙は貴重品で使えず。先ず藁の上に桑の枝をのせ火をつけ、次に薪、家の中は煙だらけ。母は近所の人に八百屋は何処ですか?と聞いたら“畑には野菜が沢山ある商売にならないだから八百屋は無し”と笑われた。魚屋は遠く魚も配給。



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私の母は

さん

戦時中の母はサハリン、旧樺太でした。
旧樺太は戦時中は 苦なく生活できて、
終戦後に満州のような、引き上げ苦労があったと。

私は母のおなかにいたので、半分旧樺太人です^^

2015/08/30 07:50:31

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