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平成の虚無僧一路の日記

香林院 (大石りく) 

2010年12月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



池宮彰一郎原作の『最後の忠臣蔵』が、封切りを前に
盛り上がっている。しかし、内容はフィクションだが、
「大石内蔵助が、おかるという愛人に生ませた子を
守り育てるために、一生を捧げつくす」という話に
皆が、感動しているのは、私としては解せない。

「大石という男。妻子はさっさと離縁し、山科に閑居
して、他の浪士たちが、極貧にあえぎながら、本懐を
遂げるために、東奔西走している中で、祇園で遊びほうけ、
愛人に子まで産ませたのだ。とんでもない奴」とは、
誰も思わんのかいな。

正室の「おりく」さんが気の毒と思うのは私だけか。

ところで、その「おりく」さんは、その後どうなったのか、
調べてみてビックリ。

「りく」は、大石との間に3男2女をもうけている。長男の
良金は父とともに討ち入りに加わり、切腹。長女「くう」と
次男「吉千代」は早世。次女「るり」と三男「大三郎」が
無事成長した。大石良雄の人気が過熱したこともあって、
「大三郎」は、広島藩浅野本家に、父と同じ1500石で召抱え
られている。次女「るり」も浅野家一族の浅野直道と結婚。
正室「りく」も、広島藩から隠居料として100石を支給されて
いた。そして元文元年(1736年)68歳で亡くなり、広島の
「国泰寺」に葬られた、とのこと。幸せだったのだ。

「国泰寺」と聞いてびっくり。先日富山県高岡の「国泰寺」に
行ってきたが、その際、ネットで検索していて、広島にも
「国泰寺」があることを知った。開基はなんと「安国寺恵瓊」。
その寺に、大石内蔵助の正室「りく」の墓があるとは。

歴史は、いろいろ知識が積み重なってくると、どんどん
つながりができてくるので面白い。


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