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平成の虚無僧一路の日記

加古川本蔵が主役? 

2010年12月14日 外部ブログ記事
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『仮名手本忠臣蔵』の影の主役は加古川本蔵だという。

真山一郎の詞章入り演歌『刃傷松の廊下』の名セリフ

  ※お放し下され 梶川殿 五万三千石 所領も捨て
   家来も捨てての刃傷でござる。武士の情けをご存じあれば
   その手放して今一太刀 討たせて下され 梶川どの……

松の廊下で浅野内匠頭を取り押さえた梶川惣兵衛は旗本。
奥御殿の取次ぎ役であった。それが浄瑠璃歌舞伎『仮名
手本忠臣蔵』では、大名桃井若狭之助の家臣加古川本蔵
となる。

なぜ塩冶判官が高師直に刃傷に及んだのか。歌舞伎では
全くの創作話になっているので、事実と混乱してしまう。
歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』では、桃井若狭之助と塩谷判官の
二人の大名が登場し、加古川本蔵は桃井若狭之助の家臣。

まず、高師直が塩冶判官の妻に懸想する。危ないところを
桃井若狭之助が助ける。怒った師直は桃井をいじめる。
それに腹を立てた桃井若狭之助が師直を斬ろうとするのだが、
その家臣加古川が師直に貢ぎ物をして、師直に謝らせ、
主君の怒りを鎮め、事無きを得る。

ところが、師直の怒りが今度は塩判官冶に向けられ、悪態を
ついたために塩冶が師直刃傷に及ぶ、とややこしい。

この時、桃井の家臣である加古川本蔵が、たまたま居合わせて
塩冶の乱行を止める。塩冶の子力弥は、本蔵の娘の婚約者だった。
本蔵は塩冶の家がお取り潰しになったら大変と、娘のことを
思って飛び出したのだ。

そして九段目の『山科閑居の場』となる。
この時点で、大星由良之助は浪人。加古川本蔵は500石取りの
桃井の家臣。虚無僧になって山科の大星のもとを訪ねる。
自分が塩冶を止めたことを悔いて、力弥に討たれる覚悟で来た。
そこには先に妻と娘がきていた。

NHKで放映された時、解説者が「忠臣蔵は、“君に忠の忠臣”と
思われているが、実は、“君への忠より親子の情の方が大切”
ということを訴えているのではないか」と言っていた。

これには、目が洗われる思い。なるほど、歌舞伎は庶民の文化だ。
武士の世界の非情、不合理を庶民は冷ややかに揶揄していたのだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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