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心 どまり

サクライ 

2015年04月20日 ナビトモブログ記事
テーマ:季節

 今日は穀雨ですね!
穀雨とは、二十四節気の中の春の第六節気にあたり、春季の最後の節気です。

 この時期に降る雨は、百穀を潤し芽を出させる春雨として、「百穀春雨」と言われています。
穀雨は、種まきなどを始めるのに適した時期ですので、農作業の目安にされていたのです。
又、穀雨以前は、特に雨が多いと言う訳では無く、穀雨以降、降雨量が多くなり始めるのが通常ですが、今年は例外ですね!

「清明(4/5)になると雪が降らなくなり、穀雨(4/20)になると霜が降りる事もなくなる」

と言う言葉が有りますように、寒い冬との決別の時期で有り、変わりやすい春の天気も、この頃から安定し、日差しも強まって来ます。

 穀雨が終わり(立夏5/6)ますと、愈々八十八夜!夏も近づいて参りまして、陽射しも移り行く季節でもあります。


 今朝(月曜日)は、可然ゴミの収集日でしたので、早朝、ゴミを出しに行きますと、裏のおじいちゃんが集積所のお掃除をしていました。

 カラスや野良ニャンの悪戯防止の為、鉄骨で頑丈に作られた1.5坪程の集積所の管理(掃除や鍵)は、当番制で一か月間担当します。
雑談後、帰り際に、おじいちゃんが、

「そう言えば、最近姿を見ていないが、サクライの
 ばあちゃんは元気かい?俺よりも、”とお”上だから
 今年九十一か!」

(エッ! サクライのばあちゃん!!! 桜井のばあちゃん???)

「あ!はい!お蔭様で元気ですよ!お出かけは、病院とお散歩くらいですねエ〜」

 すっかり忘れていました。
義母と同年輩の人達は本家の事を、屋号の様に”サクライ”と呼んでいた事を!
それに加え、結婚当初義母が話してくれた義母の生い立ちの事も!

 義母は、”家付き養女”でした。
と言いますのは、義母が小学生の頃、両親が相次いで亡くなり、ひとり娘だった義母と少なくはない田畑に家屋敷、その行く末を親戚一同で相談した結果、

『本家である”桜井”の家を途絶えさせる訳にはいかない。』

と言う結論になり、子供がいなかった遠縁の医者の息子夫婦が、夫婦の姓を名乗ると言う条件で、”桜井”の家を継ぐ事に決まったそうです。
 
 歴代の村長を輩出した桜井家ですが、地方議会議員の待遇(報酬制度)が確立する迄は、村長は名誉職であり、無報酬でした。

 戦後の制度刷新を契機に、都、府県、市、町村のすべての階層の地方議会議員には、報酬と費用弁償が支払われることになりましが・・・

 見栄も有ったのでしょうね!
辞める訳にもいかず、田畑を手放しながらの生活が続き、挙げ句の果てに、村の三分の一程有った土地は、1947年(昭和22年)GHQの指揮の下、日本政府によって行われた農地の所有制度の改革、いわゆる”農地解放”により大方の地主がそうであったように、義母の代に所有地は、以前の約半分以下になっていたそうです。

 義母は、体の調子が良い時には、家の前の神社に散歩に出掛けます。
その際、幼い頃を懐かしむように、子供の頃、村の古老から聞いたと言う話を、必ずと言っていい程口にします。

「この神社もね、家の土地だったの!○○も、○○も家の小作
 人だったのよ!○○はね、樺太からの引揚者でね・・・」

 戦後生まれの私には、義母の胸の内を慮る事は出来ません。
義母の心の襞(ひだ)には、数えきれない程の悲哀が、折り込まれているのでしょう!

 終戦後、当地も御多分に漏れず、親戚を頼って樺太から引き揚て来た人達がいたそうです。
しかし、戦後の混乱期の事でも有り、頼られた人達も、今後の不安や自分達の生活に追われる日々の中で、親戚であっても面倒を見てあげる余裕は無かったようです。

 面倒を見て貰えず困っていた人達に、義母の養母は、敷地内の小屋や穀蔵を開放し、寝食を提供していたそうです。

 世話になった人達が、年末年始には御挨拶に来ていましたが、子や孫の代になり、年々年を追う毎に、訪れる人も少なく成って来ました。この事を知りましたのは、遂最近の事です。
来客は、親戚の人達だろうと思っていたのですが・・・

 義母を、姉の様に慕うお隣のおばあちゃんも、世話になった一人だそうで、事有る毎に杖を付いてやって来ます。

 話は変わりますが、家の敷地の北西の角は、常に湿っています。以前は竹林が有りましたが、道路拡張・拡幅に伴い整地したにもかかわらず、二十五年経た現在でも常にジメジメとしているのです。

 以前、一緒に草取りをしていた義母に聞いた事が有りました。義母が語った内容はこうです。
 
 竹林の中のその場所には、”泉”があり、上水道が完備される前は、村民の生活用水や”神水”として、その”湧き水”を神様に捧げていたそうです。

 どんなに日照りが続き、干ばつの被害が出た時ても、此の泉はコンコンと水が湧き、絶える事は無かったとか!

 ”桜井”とは、”神様の井戸”と言う意味だったのです。

 其処で、”夢”と言いますか、大袈裟に言いますと”野望(?)”と言いますか、私の心中に”沸いた”と言いますか、宿った思いが!

白状しちゃいます!
現在は、義母も義兄も義姉も主人も健在です。
多分、義母は百歳まで、否それ以上に長生きしそうです。

 もしも!もしもですよ!仮定の話です。
四人よりも長生きして、まあ〜今でも自由にさせて頂いておりますが、天下を取り(笑)全ての事を望み通りに出来る日が来た時には、”泉”を復活させてあげたいのです。
敷地の中に、”湧き水”が出ているなんて素敵でしょう!
和風庭園風に造園して、近所の人達も自由に出入りが出来るようにしたら、ちょっとした憩いの場所になると思いません?
想像するだけで、楽しくなって来ます。
それには、まず頑張って長生きしなくちゃあ〜ね!
                 p(*^-^*)q
 
 もしも!もしもですよ!これも仮定の話でが、夢が叶った暁には、ナビ友の皆様をご招待しますね!
皆様も頑張って長生きして下さい。辛い事も有りますが、楽しい事も有りますでしょ!


 あ!そうそう忘れてはいけませんね! 
『サ神様(サノカミサマ)』の続きです。

 時が過ぎ、神話の時代に成りますと、『サ神様』は、いつしか忘れ去られて行ったのです。
ですが、日本書紀には、この世で最も美しく、最も雄雄しい端正な横顔を持つ美しい男神イザナギと、見目麗しく気立ても良い女神イザナミの子(山の神)として登場します。

 イザナギとイザナミは夫婦となり、大日本豊秋津州(オオヤマトトヨアキツシマ)【本州】・伊予二名州(イヨノフタナノシマ)【四国】・筑紫州(ツクシノシマ)【九州】そして、億岐州(オキノシマ)と佐渡州(サドノシマ)の双子、越州(コシノシマ)【北陸地方】・大州(オオシマ)【場所不詳】・吉備子州(キビコシマ)、イザナギは、此の八つの州(島)を、大八州国(オオヤシマノクニ)と呼び、愛しんだのです。

 大日本(オオヤマト)の島々の次に、山の神、川の神を生み、その次に草の祖先である草野姫を生み、次に陽の神と月の神が誕生し、日の下の国の原型が整って来たのです。

 即ち、山の神様・田の神様であった『サ神様』から、名実ともに『山の神』に!
そして縄文時代の『山岳信仰』と相まって崇拝の対象となったのです。

 財団法人日本さくらの会の浅田信行氏曰く
「花見の起源は、奈良時代に中国から伝わって来た梅を貴族が観賞したのが始まりと言われています。その後、平安時代頃から、観賞の対象が梅から桜へと変わって行きました。
庶民にも広まったのは、江戸時代。
徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせ、庶民の日頃の不満を解消させる為に、花見を奨励してからと言われています」

 戦も無くなり平和にはなりましたが、楽では無い暮らしを強いられた江戸時代の庶民にとって花見は、大きな楽しみでもあったのです。
ですから、花見の前日ともなりますと、着ていく服を準備したり、照る照る坊主を下げたりと、一大行事だったようです。
 たとえ、貧しい暮らしの中でも、蒲鉾のつもりの大根、卵焼きのつもりのたくあん、そしてお酒の代わりは番茶で・・・と言うように楽しんでいました。
 
 お花見を通じて知る、そのような人々の工夫や心の豊かさ、その心が、現代の私達のDNAに受け継がれて来ているのでしょう!
お花見をしている人々の表情は、皆豊かであり幸せそうです。

 又、江戸時代には「花は桜木、人は武士」と言う言葉も生まれました。

 それほど迄に、日本人の心をとらえた背景には、咲き様、散り様も然る事ながら、人々の暮らしに馴染んだ花木で有ったと言う事なのでしょうね!
『桜』は、日本人そのものの様に思われます。


 「日本は、様々な分野で進歩したが、日本人の心は退化した。」

と、某講演会で、講演者の方が仰っていましたが、桜や花見の由来や歴史をを知る事により、日本のよき楽しみを続けながら、本来の日本人の心を取り戻し、尚且つ持ち続けたいものです。



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ゆっ子さんへ

良香さん

 こんにちは! 
義母の話題で、ゆっ子さんをブルーにさせてしまいましたら、ごめんなさい! m(_ _*)m

 今日は私も、ゆっ子さん以上にお寝坊でした。
                (sorry)
実は昨日は、月に一度の目の検診日でした。
 昨年、急激に右目の視力が落ちましたので検査をした結果、網膜に症状が見つかったのですが・・・
糖尿病由来や加齢由来の臨床データには該当せず、原因が解らないとの事。
レーザー手術や高価な硝子体内注射を各4回受けましたが、症状を抑えるだけで、完治は望めないようです。
 昨日は、診察の結果、症状は横這いでしたが、緑内障予防の為、レーザー照射を追加したいとの事でした。
NO!とも言えませんでしので、渋々受けたのですが、まあ〜痛いのなんのって(;_;)!
場所によっては無痛なのですが・・・
 ドクターは、「体の力を抜いて!顎を引かないで!」
とか仰いますが、緊張と 痛みとで体はガチガチ!知らず知らずに顎は引け、頭は乗せている台から逃げてしまいます。

2015/04/23 19:08:56

続きです。

良香さん

 昨日の照射は、今までとは違い、とても長時間に感じられ痛みも強く、終了した時には気分が悪くなり、帰宅すると同時に寝込んでしまいました。
 今朝は、起きる事が出来ませんでしたが、娘が全ての家事を済ませてくれましたので、お昼まで休んでいました。
痛みは緩和しましたが、未だに違和感は残っています。
その様な訳で、お返事が遅くなりました。
ごめんなさい。言い訳ですね!

「ケルミス」ですか? 楽しそうですね!
ヨーロッパの人々も、日本人も求める物は一緒、万国共通なのですね!
 
 友人が”パティオ”と言う名前のショップを経営しておりました。
「お客様が、中庭の様なお店で、お買い物を楽しみながら、寛いで欲しいから」
そう話していた彼女を、想い出しました。
ありがとう。

2015/04/23 19:05:16

続きです。

良香さん

>嘘ついたら針千本飲ましますよ!

まあ〜 まあ〜 懐かしいわ〜♪
何十年ぶりに聞いたかしら

 え〜え〜 お約束、守れるように頑張って長生きして、天下を取りますわよ(*^-^*)v
その時には、チャーター便でお迎えに参りますわ!
それが無理でしたらエコノミーでも我慢してね!
ちょっと差が有り過ぎね!ユルサレテ!
 
 ゆっ子さんも、呉々もお体には充分にお気をつけて下さいネ!
いつも嬉しいコメントをありがとうございます。

2015/04/23 19:04:27

のびたさんへ

良香さん

 こんにちは!

敷地の湿ったこの一角を眺めておりますと
「私の事を、忘れないで!」
と、存在を主張しているようです。

ブログだけでなく、”復活した泉”をご覧頂きたいと思いますので、義母の様に九十歳、百歳まで、否それ以上に長生きされて、是非いらして下さい。
嬉しいコメントをありがとうございました。

2015/04/23 15:39:12

yaso-banaさんへ

良香さん

 こんにちは!

コメントをありがとうございます。

>その思い出を語り継ぐことが「歴史」に

仰る通りです。
私達が子供の頃は、三世代・四世代の家庭は、普通でしたね!
幼き日、祖父や祖母から聞かされた祖先の”昔話”を、今でも鮮明に記憶しております。
核家族化した現代の子供達は、その様な話を聞く機会が激減、或は殆ど皆無に等しいかと思われます。
家族形態そのものを、再考すべき時が来ているのかもしれませんね!

 天下を取りまして(笑)”泉”を、復活する事が出来ました暁には、yaso-banaさんをご招待致しますので、是非いらして下さい。
お互い、頑張って長生きしましょうね!

2015/04/23 15:37:32

yinanさんへ

良香さん

 おはようございます。
本当に、寒い寒いと言っているうちに、
もう穀雨です。
移り行く季節に、然もすると置いて行かれ
がちになります。

yinanさんを、ご招待出来ますように、
頑張って長生きしますね!
コメントをありがとうございます。

2015/04/22 09:55:00

朝風呂さんへ

良香さん

 おはようございます。
そうですね〜!
些細な切っ掛けで、忘れていた思い出が
よみがえる事って多々ありますよね!
此処の想い出が、或は家族の想い出が積み
重なり歴史に成って行くのですね!
一日一日を大切に生きて行きたいです。
コメントをありがとうございます。

2015/04/22 09:43:43

うきふねさんへ

良香さん

 おはようございます。
嬉しいコメントをありがとうございます。
ちっちゃな天下ですが、取った暁には、
”泉”を復活させてあげたいです。
ミニ庭園になるでしょうが、うきふねさんを
ご招待出来るように頑張りますね!

2015/04/22 09:34:53

vol.2

ゆっ子さん

では、気を取り直して、第一の「もしも」計画について。
ぜひ実現させてくださいね。
どんなにりっぱなお庭を造ったってそこに集う人たちがいなければ、ただの箱にしか過ぎないですよね。
南ヨーロッパではパティオというそれはそれは綺麗にお花で飾られた中庭を持っているおうちが多いのですが、やはりそこでも近隣の方たちが集って憩う習慣があります。

第二の「もしも」計画について。
そのお約束、嘘ついたら針千本飲ましますよ!
ぜひぜひ往復の飛行機代込みで招待状が届くのを心待ちにしてまーす(*^_^*)

ふたつに分けてしまいましたが、私の話が長すぎて一回では投稿しきれなかったんです。

2015/04/21 17:06:19

vol.1

ゆっ子さん

庶民が貧しい暮らしの中で何か楽しみを見つけようとしたのが、お花見の始まりなんですね。
「桜」はその役割を一手に引き受けて、日本人の心をわしずかみにしちゃったんだぁ。
ベルギーには…といわず、殆どのヨーロッパの国にも春・秋に「ケルミス」というカーニバルがあって、地域ごとに屋台が出たり移動遊園地が来たりしますが、昔の人は娯楽が少なかったのでそれに夢中になっていました。
古今東西、庶民がささやかな娯楽を求めるという点では、共通してるように思います。

「義母」のお話なんかされたから、私は途端にガックリきちゃったんですが、うちの夫は一人っ子で姑は1ブロック先のアパート(マンションの小型のようなものです)に一人で住んでるんです。
そして彼女も今90歳なのですが、100歳以上は軽ーく長生きするでしょう。
ね?この導入部だけで大体の察しはつけていただけると思いますが、もし私がこれについてしゃべりだしたら、良香さんはじめ、全シニアナビのメンバーの方たちに引かれてしまう自信があります(-_-;)

2015/04/21 17:04:40

泉は枯れず

のびたさん

壮大なドラマを見ていたような実感です
広大な村の多くを占めた敷地 そして 神社と泉
泉は今も存在感を示して 何時か来る自然への回帰を待っているようです
夢の泉と庭園 是非 実現して下さい
私も長生きしていたら このブログで そんなこともありましたねと読みたいものです

2015/04/21 11:58:30

歴史・・・

yaso-banaさん

人は生きていると たくさんの思い出が有りますね
その思い出を語り継ぐことが「歴史」になってゆくし
又・知らなかった事も次世代へと引き継がれてゆくんですネ
「昔話だから」等と言わずに 思い出話は多いにするべきかも・・・

<神様の井戸>の復活・・・素敵ですね〜 v^^)/

2015/04/21 10:02:21

めぐる季節

yinanさん

良香さん、おはようございます!

昨日は「穀雨」でしたか、
ぼんやりしているうちに
季節は巡っているようです。
良香さんの想いは遠い昔を巡ったようです。

”神様の井戸”が復活するといいですね。
想いが叶うことを期待して長生きしなければ!

”花は桜木 人は武士 …花はみよし”と
この言葉も「桜」で締めていますね。
桜のように潔くと思うのですが、
いろいろと雑念が頭の中を駆け巡ります。

2015/04/21 06:54:49

良香さん

さん

今あるどんなことにも
いっぱい歴史が詰まってる。

普段
何気なく暮らしてると
そんなこと忘れがちになります。

もう一度
原点に戻って生きること
思い起こしてくれました。

ありがとうございます。

2015/04/21 06:49:16

おはようさんです

うきふねさん

良香さん、そうだったのね。と納得しながら
読ませて頂きました♪

敷地内に泉が湧き出づるなんて素敵です。
夢が叶うといいですね(^^)

2015/04/21 06:36:20

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