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平成の虚無僧一路の日記

深谷福正寺 

2010年04月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



間諜として暗躍していた根拠として、長野氏の居城
箕輪(現高崎市)には慈上寺(石上寺)という虚無僧寺
があった。また隣りの埼玉県深谷市にも福正寺という
虚無僧寺もあった。

虚無僧で埼玉県の深谷を廻った時、名刹国済寺を
訪ねた。町名も「国済寺町」で、境内も広い。
今は臨済宗南禅寺派だが、元は「法燈派」だったと
いう。虚無僧が普化宗の日本開祖と仰ぐ法燈国師
覚心が開いた紀州由良の興国寺の末寺ということだ。

この国済寺に『福正寺縁起』なる古文書が保管されて
いる。なんと、福正寺は「応永年間(1400年頃)に
普化宗の寺として再興された」と書かれているのだ。

深谷市の史誌に堂々と掲載されているのだが、これが
事実なら、深谷の福正寺は、由良興国寺が普化宗(=
虚無僧)と関係があったことを裏付ける最古の史料となる。

しかし疑問が多い。応永年間に再興されたのに、二代
首座が宝永元年(1704)寂だから、300年間空白なのだ。

つまり、この『福正寺縁起』は由良興国寺を普化宗の
本山とした江戸時代後半に作成されたものと私は断定
したい。これについて深谷市の教育委員会や郷土史家
からの反証を期待したい。]]>

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