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ショック・ドクトリンを許すまじ 

2015年02月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昨日は後藤さんの死を聞いてから、一日中憂鬱でした。

アベ首相は、去年から人質を取られていると知っていたのだから、中東諸国やイスラエルには、「人質事件が解決するまで、訪問できなくなりました」って断るのが当たり前だったと、私は思うのだけど、どうなんでしょう?。
アベ首相にとって人質になった人間は「迷惑なやつ」としか感じなかったのでしょうね。彼の外交姿勢が、今回の悲劇を生んだと思ってしまいます。
お友達が2人、私の書きたいことを書いていらっしゃるので、転載させて頂きます。


目良誠二郎さんのFacebookから、転載させて頂きます。



後藤さんまで殺害されてしまった今回のテロ事件は、日本社会に大きな衝撃を与えています。
その中で、僕も含めてですが「ショック・ドクトリンという用語をいろいろな方が使っています。
「ショック・ドクトリン」というのは、クーデター・戦争・災害・テロなどの大惨事が発生して(時には発生させ)、いわば国民が茫然自失の状態にあるのに便乗し、一部の権力者たちが自分たちの信奉するイデオロギーに基づく反国民的なシステムを一挙に導入し、その国のシステムを根底から作り変えてしまうことをいいます。
アベ首相が今回の「イスラム国」テロリストによる日本人殺害で国民が大きなショックを受けているのに便乗して、米軍と共に自衛隊を中東にも派兵するような集団的自衛権行使の具体化を急ごうとしているのも、まさにこの「ショック・ドクトリン」= 惨事便乗型 政策変更」そのものであると言わざるを得ません。

と、警告し、ナオミ・クライン著「ショック・ドクトリン」岩波書店刊 の一読をお勧めしますと結んでおられます。


もう一人の友人、ブリッジ フォー ピースの 神直子さんの文章を、先日ご紹介したトレド在住の河合妙子さんも、次のように紹介しています。
「元日本兵のお友達をたくさん持ち、ご主人は元戦場記者、そして母となった神直子さんの言葉に、自然と耳が傾きます」

妙子さんと私の共通の友人、神直子さんの文章をFacebookから転載させて頂きます。


昨日、ドイツの ヴァイツゼッカー元大統領が、亡くなったと知りました。

「過去に目を閉ざすものは、結局のところ、現在にも盲目となります」と言う有名な演説を学生時代に読み、本当にその通りだと思いました。人質殺害事件が起きた今、まさにこの言葉をしっかりと心に刻む必要があると感じています。

後藤健二さんが殺害されたとの報道を受け、「テロに屈するな」「行ったのは自己責任」と言う論調も見られます。イスラム国の非人道的な手法は許せるものではないし、後藤さんも幼子を残して湯川さんを助けに行ったのが事実だとすると、そこに疑問を感じないわけではありません。

ただ、一つ忘れてはならないのは、安倍政権がイスラム国対策として支援を申し出なければ、こんなことにはならなかったということです。今回の事件が起きた背景(支援のみならず)を理解せず、非難するのは冷静さに欠けています。
「積極的平和主義」と言う、聞こえの良い言葉を使って日本が進もうとしている方向は、国民を安全に導くどころか、これから危険に晒して行くことになるのが目に浮かびます。

危険が迫っていると言って国民を駆り立て、戦争に突き進んだ過去が日本にはあります。今回もこのタイミングで自衛隊派遣の想定問答集を政府が作っていたことが明らかになりました。
「テロに屈するな」と言う声が国内で高まれば、安全保障法整備が整いやすくなると現政権はしたたかに考えていることでしょう。

「武力では何も解決しない」元日本兵の多くがこう語っていました。

「過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります」と言う言葉、改めて心に刻みたいと思います。


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アベ政権の思うままにされたら、海外の日本人は、危険にさらされるし、日本国内でだってテロの脅威にさらされかねないでしょう。
敵を作らず、敵を少なくするのが外交。わざわざこっちから敵を増やすなんて狂気の沙汰。昭和初期の日本の過ちを繰り返して欲しくないです。
憲法九条を掲げて、偏らない全方位外交に務め、日本は平和国家ですと言っているべきなのだと思います。








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