月見草の愛の賛歌

病院 

2015年01月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



世の中平和になって84歳の私が敗戦の語り部になる最後の人になったとしみじみ感じました。

夫が入院して胃瘻のため、もう3か月口から水も飲めないのに同室の人の夕食が運ばれてきました。

それまで私はヘルパーの時間の為5時前に帰っていたのと、隣の人が亡くなり人が変わっていたことに

気が付きませんでしたから、夕食が食べる人とは気が付かずにいて看護婦が無神経に夫の前を食事を

持って通りました。

夫は自分のだと目の色が変わりました。

私は慌てて「あれはお父さんのではないの」と言ったとき、あの優しい人が「生き地獄だ」と言ったとき

号泣しそうになりました。

病院で働いている人はもう戦後生まれで飢えを知らず悪気のないのはわかりますが、

夫を守るのは私です。

病院に訳を話さなければ、毎日の事ですから、戦後の飢えの話をして死にそうな人の

4人部屋か個室い移してくださいと頼みました。

驚いたのはそのあとの事です。10分経つか経たない時に婦長や看護婦が協力して、夫を一斉に

個室に移しました。そのあと事務長や婦長、病院のスタッフが個室を訪問してくださって

「今までこんな事考えていなかった」

「これから食事できない患者さんの状況を踏まえて、病院中の入院患者の部屋割りを徐々に改善していきます」

との言葉に大変感激しました。

小さな病院だと思っていましたが、医師やスタッフ、経営陣の思いやりのある心に触れて、素晴らしい

病院に入院出来てよかったと思いました。

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