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江戸の文化人(真田幸貫、大久保長安) 

2015年01月20日 外部ブログ記事
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江戸の幕閣真田幸貫、幕臣大久保長安

真田幸貫 ⇒大名、老中、信濃松代藩の藩主、徳川吉宗の曾孫、名君
大久保長安⇒武田氏、徳川氏の家臣、外様大名で老中


















江戸の文化人(ネットより画像引用)

真田幸貫生涯
寛政の改革を主導した松平定信の長男として白河藩の江戸藩邸で生まれる
庶子であるため、松代藩藩主真田幸専の養嗣子となった
天保の改革では、老中に抜擢されて改革の一翼を担った
藩政では、佐久間象山等、有能な人材を登用して洋学の研究に当たらせた
文人としても優れ、画や和歌に秀逸は作品を数多く残しています
晩年には藩政改革の路線を巡る対立から重臣達による内紛を招き62歳で死去

大久保長安武田家臣時代
父は猿楽師で、甲斐国に流れ、武田信玄お抱えの猿楽師として仕えた
長安は信玄に見出されて、武田領国における黒川金山などの鉱山開発や税務などに従事した
信玄没後は、武田勝頼に仕えたが、織田信長・徳川家康連合軍の侵攻で甲斐武田氏は滅亡

大久保長安徳川家臣へ
長安は家康の家臣として仕えるようになる。
家康の仮館を長安が建設し、家康が長安の作事の才能を見抜き仕官を許した
甲斐が家康の領地となると、長安は堤防復旧や新田開発、金山採掘などに尽力し再建した
家康が関東に入った後の土地台帳の作成も長安が行なった

大久保長安関ヶ原の戦い後
豊臣氏の支配下にあった佐渡金山、生野銀山などが全て徳川氏の直轄領になる
家康が長安の経理の才能を高く評価し、大和代官、石見銀山検分役、佐渡金山接収役等、長安異例の昇進
家康が将軍に任命されると、長安松平忠輝の附家老に任じられた
現在知られる里程標(一里=三十六町、一町=六十間、一間=六尺)の間尺を整えたのも長安です
晩年に入ると、全国鉱山からの金銀採掘量の低下から家康の寵愛を失い代官職を次々と罷免される

大久保長安の死後
長安の死後、長安の不正蓄財をしていたという理由で、長安の7人の男児は全員処刑される
家康は埋葬されて半ば腐敗していた長安の遺体を掘り起こし、斬首して晒し首にする
徳川家による大久保家粛清は、他の代官に対する見せしめの意味が有ります(大久保長安事件)

大久保長安人物・逸話
外様(30歳まで徳川家と関わりがない)で老中に就いた唯一の人物です
無類の派手好き、女好きで、側女を80人も抱えていました
長安は、家康より政宗のほうが天下人にふさわしいと考え、政宗の幕府転覆計画に賛同していました

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