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江戸の黒田日銀総裁 

2015年01月12日 外部ブログ記事
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江戸の文化人田沼意次の政策

市中に流れる貨幣の流通速度をコントロールして経済を活性化する
商人に対する課税によって、幕府の財政を健全化させる
民衆を富ませて、幕府財政を立て直す施策(幕府財政の貨幣収入増加)
公共事業の推進(蝦夷地開発、インフラの整備等)












江戸の文化人(ネットより引用)

田沼意次の出生から出世へ
紀州藩士旗本の長男として、江戸の屋敷で生まれる
将軍徳川家重の西丸小姓として抜擢され、1万石の大名に取り立てられた
将軍徳川家治の信任は厚く、側用人から老中格となり、相良藩5万7千石の大名になる

田沼意次時代
幕府の財政赤字対策として重商主義政策を採る
株仲間の結成、銅座などの専売制の実施、鉱山の開発、蝦夷地の開発計画、貿易の拡大等の政策を実施
幕府の財政は改善に向かい、景気もよくなりましたが、贈収賄も横行しました
諸藩は米価の値上がりの為、財政悪化し年貢の取立てを厳しました
結果として、都市部の治安の悪化、農村部での一揆等の激化で、田沼政治への批判が集まる

田沼意次失脚
外国との貿易を黒字化させて国内の金保有量を高めました
蘭学を手厚く保護し、実力主義に基づく人材登用を推進しました
改革は、身分制度や朱子学を重視する保守的な幕府閣僚の反発を買いました
老中を辞任させられ、江戸屋敷の明け渡しも命じられ、意次は蟄居を命じられ、相良城は打ち壊し

田沼意次人物
田沼意次=「賄賂政治家」とされ、田沼悪人説が定着しています
松平定信の政策は、質素倹約な方針で、田沼意次の政治を懐かしむ声も多かったです
『田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水』(白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき)
相良藩主として、街道や港の拡張、防火対策等実施し「意次は近代日本の先駆者」と評価している学者も多いです

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