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平成の虚無僧一路の日記

風魔 

2010年11月11日 外部ブログ記事
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「風魔」については、江戸時代になって書かれた
『北條五代記』に、「39 関東の乱波(らっぱ)智路の
事」として出てくる。これが唯一の出典。

「乱波(らっぱ)と云う曲者(くせもの)多く有し。
これらの者、盗人にて、又盗人にもあらざる。
才智有て、某計調略をめぐらす事、凡慮に及ばず。

(北條氏直と、武田勝頼が対決した時の事)。
氏直、乱波二百人扶持し給ふ中に、一の悪者有。
名を「風摩」と云。忍びが上手で、夜討を第一とす。

二百人の徒党を四手に分て、雨の降る夜も、降らぬ夜も、
風の吹く夜も、吹かぬ夜も、黄瀬川の大河を ものとも
せず打ち渡りて、勝頼の陣場へ 夜々に忍び入て、
人を生捕、つなぎ馬の綱を切、分捕・乱捕し、火をかけ、
四方八方へ鬨音をあぐれば、勝頼の陣 騒ぎ動揺し、
あはてふためき、味方を敵ぞと思ひ、討ち討たれる。
夜明て首を実検すれば、皆同士討ちなり。

風摩は、身長 七尺二寸(216cm)の大男。口は逆さまに
裂け、黒髭(ひげ)を口の両脇へ広く下げ、牙四つ外へ
出たり。頭は福禄寿に似て(長く)、鼻たかし。
声を高く出せば、五十町聞え、低く出せば、からびたる
声にて幽なり。」

ここには、残念ながら、「尺八や虚無僧」との関係は
書かれていない。

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