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平成の虚無僧一路の日記

北条家と尺八 

2010年11月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



伊勢新九郎(北条早雲)と 富士の裾野の豪族
葛山氏の娘との間に生まれたのが、北条幻庵。
早雲の三子で、母方の葛山姓を名乗ったことも
あった。

北条家5代に渡って生き、長老として重きを
なした。亡くなったのは、北条家が秀吉によって
滅ぼされる8カ月前だった。

幻庵は、成人するまで京都で育っており、教養
高く、知人も多く、大徳寺との関係も深かった。
また、器用で、馬の鞍や、尺八を作ると「幻庵鞍」、
「幻庵切(一節切尺八)」として、京の公家の間で
評判になった。

こうして、小田原家中の多くが尺八をたしなんで
いた。北条家滅亡の後、関東には徳川家康が入り、
北条家残党の多くが帰農した。そんな中には、
商売も農業もできず、尺八しか能の無い侍もいた
はずだ。虚無僧が、その「掟書き」の中で「再仕官
するまでの仮の姿」と明記しているところに、
私は、「北条の残党の何人かが虚無僧になった」と
考えている。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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