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平成の虚無僧一路の日記

「空海」もキリスト教を学んでいた 

2015年01月06日 外部ブログ記事
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九世紀に「空海」は、中国(唐)へ渡って真言密教を学びましたが、
この「真言密教」は、釈迦仏教とは全くかけ離れたもので、当事、
唐の都で広まっていた道教、ゾロアスター教、景教(キリスト教)、
バラモン教などの混合宗教です。
空海は、景教徒の般若三蔵(はんにゃさんぞう)という人物と論争し、
景教の知識を吸収しました。般若三蔵は、「大秦寺」(だいしんじ)という
景教の教会を営んでいた人物です。「大秦」とはローマ帝国のこと。
 
空海は 唐で「潅頂」を受け「遍照金剛」という潅頂名が与えられました。
これはキリスト教でいう「洗礼」で、「遍照」とは"広く照らす"の意味ですから、
聖書「マタイの福音書」五章一六節の、「あなたがたの光を人々の前で
輝かせ」の意味です。「潅頂」というのは原始仏教には無かったものです。
 空海は、死の間際、弟子たちに次のように語りました。「悲嘆するなかれ。われは弥勒菩薩(みろくぼさつ)のそばに侍するために、
入定(死ぬ)するが、五六億七〇〇〇万年ののち、弥勒と共にふたたび
地上にまみえん」と。
「将来復活する」というこの信仰は、まさに、"キリストが再来するときに
クリスチャンは復活する"というキリスト教信仰と同じものです。
さらに、10世紀になると「称名念仏」の信仰が広まり始め、12世紀には、
法然や親鸞が「南無阿弥陀仏」の念仏宗を広めました。
「南無」とは、「帰依する」という意味で、「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀仏を
信じます」、「阿弥陀仏に帰依します」という意味です。法然や親鸞は、この
念仏を唱えるだけで、誰でも浄土(キリスト教でいう天国)に生まれることができ、
救われると説いたのです。
これは、聖書「使徒の働き」二章二一節の「主の御名を呼び求める者は、
誰でも救われる」というキリスト教と同じです。このように、浄土宗、浄土真宗とキリスト教は類似点が多く見られるのです。
 

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