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えりの日記帳

思い出のアルバム 

2014年12月12日 外部ブログ記事
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 盛岡日赤病院で生まれ、生後直ぐに小児科に移された昭和58年3月17日生まれの次男は「99%胆道閉鎖症ではないでしょう」と言われながらも、体調がすぐれず・・・
 「1%の不安は拭えません」と、東北医大の教授様の執刀で(当時の岩手県立中央病院で)手術が成功したのは「生後83日」経った頃でした
   生後60日までの手術が必要という「タイムリミット」は過ぎていました
           
「胆道閉鎖症は手術すれば治るという病気ではなく、手術してからが病気との闘いになります」と教授から告げられました
 入退院を繰り返し、二度の手術に耐え、痛い苦しい治療にも耐え、生命の危機にも陥り・・口にもしたくないような砂を噛むような日々も味わいましたが・・・
    
   中学時代のアルバム          高校卒業の頃
              
   
    1日も休まずに頑張った充実した貴重な高校生活三年間
            (作業中の、後姿が次男です)
 小学校卒業までは「湖水の薄い氷上を歩くような」日々でしたが、温かい方達に助けられ、胆道閉鎖症の子供を守る会や家族に支えられて「今があります」
 自分の子を自慢する訳ではありませんが(次男は別にしても)胆道閉鎖症の子供たちは、本当に賢い子が多いのです
 岩手の病院や仙台の東北大附属病院、三重大附属病院等に入院して、次男と仲良くなった子ども達との哀しい別れもありましたが・・・
胆道閉鎖症の子供さん達は、皆、本当に感動するぐらいに「知能が高くて賢い子だった」
 
 
 
 
 
 
 

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