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平成の虚無僧一路の日記

車善助は「フーテンの寅さん」の先祖? 

2014年12月12日 外部ブログ記事
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古書店で「被差別民衆に君臨した“頭” 江戸の弾左衛門」という本を
入手した。著者は「なかお けんじ」。大阪教育大学の教授。
 
「被差別民 “穢多” の発生と、その頭領 弾左衛門」 について、
よくぞ、ここまで調べあげたものと関心する。
その中で、「弾左衛門」の対抗馬として 「車善吉」が出てくる。
「弾左衛門」が、皮革職人の頭領だったのに対して、「車善吉」は、
江戸に流入してくる貧民を保護し、管理する役目を担っていた。
明暦の大火では、10万人が死んだといわれ、その遺体処理に
「車善吉」は 弾左衛門の要請で 5,000人もの非人を集め、
 働かせている。
 「車善吉」は、当初浅草鳥越に住み、後、深川に移り、その一帯の
非人を 統括する“非人頭” となっている。
「車」といえば、あの「フーテンの寅さん」が 「車 寅次郎」。
そして、これは偶然。 「車善吉」は、「三河・渥美村」の出身と
いうからびっくり仰天。 「渥美清」の芸名も、渥美半島から
つけられたとか。
 
Wikipedia より
「フーテンの寅」こと 車寅次郎は、父親、車平造が芸者、菊との間に作った子供。
妹「さくら」とは、腹違い。実母の出奔後、父親のもとに引き取られたが、16歳の時に
父親と大ゲンカをして家を飛び出したという設定。 寅さんの家業は テキ屋。 
渥美清自身、若い時はテキ屋の手伝いなどしていたそうな。「寅さん役」は、
地でいっとる。
 

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