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たゆたえど、沈まず
小走りですが走れたぁ!
2014年12月10日
テーマ:テーマ無し
友
がまた一人天に召された。私より2歳若い68歳であった。
豪快な男で大学時代は応援団で鳴らし、全学連全盛のあの時代に対極の学生右翼として暴れ岸信介や福田赳夫に可愛がられていた。
丈夫な体を持っていたが無理がたたって糖尿病を患い次々と合併症に見舞われた。
それでも彼を必要とする周りに応え無理に無理を重ねて、4度の大手術を乗り越え、人工透析を10年以上、昨年は壊疽で片足を切断し車椅子姿となった。
それでも大きなBMWの後部座席に乗り憎めない笑顔で我々の前に現れたサムライであった。
通夜を終えて落ち合った仲間たちと夕食をとりながら彼を偲んだ。
身近な仲間が一人また一人と先に逝く。その寂しさがこたえる年齢になった。
夕食を共にしている全員がヨレヨレである。それでもそれを受け止め前向きに、会えばお互いの身を案じながら、生きた言葉を交わし合う楽しいひと時をいつも過ごす。
生きている。
こんな一時は、人生の残り時間がもう少なくなっていることを嫌でも感じる。
私の仲間は、総じて自分のことは後回しにして人のために生きた人が多い。
私は何をしているのだろう。これから何をすればいいのか、残されて生きている以上使命があるはずだ。それは何だろう。いつもそんなことを考えながら生きている。
そんなことを女房と話しながらコタツから立ち上がって手荷物を運ぼうとした途端に息切れで動けなくなった。こんな身体で何が出来るだろうと情けなさがこみ上げた途端に涙がポロポロ出てきた。女房はいつものことだと笑って喝を入れてくれる。
時々こんな瞬間が訪れる。すぐに気を取り直して笑顔で動き出す。
昨日はいつになく元気で、快調に夕刊を配っていたらから体が勝手に走り出した。バイクを降りて20歩ぐらい歩くお宅の前で小走りに走れたのだ。
その次の家の20歩も体が勝手に走っていた。走るといっても小走りである。
他の仲間たちは当たり前のように走って配達をしている。体が勝手に動くのだ。
私もそうなりたいと思っていたら2軒だけ自然に走った。
新聞配達を始めて10年になるが初めて走れた。私にとっては画期的な出来事で、また涙ポロポロである。
夕刊を始めて一ヶ月、同時に始めた1日1食も一ヶ月である。今回は真面目にやっている。やりながら体の中で何かが起きていることを感じる。いい変化が起きていると感じていた。
1.5キロほど痩せたが身が軽く動きも軽快になってきたらしい。
たった20歩の小走りが、私には不可能だった。それが突然出来た。
今年の目標は走ることだった。12月に入って、走るのは流石に無理だなと思っていた。来年の目標に持ち越しのつもりだ。走れる予感してきました!
主治医が「有酸素運動?無理無理!茂作さんには無理」と言っていたので来年は「先生100メートル走ったよ、先生はもう走れないだろうザマァミロ!」と報告してビックリさせてやろう。(笑)
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