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NHK『智恵泉』より保科 正之 

2014年12月08日 外部ブログ記事
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保科 正之の家綱への名補佐

陸奥会津藩初代藩主、江戸幕府第3代将軍徳川家光の異母弟です
第2代将軍徳川秀忠の四男として生まれました(大工の娘静が母親です)
家光が、弟の存在を知ったのは、成人してからで、成就院の僧侶から知らされました
4代将軍家綱を輔佐し、幕閣に重きをなしました










保科正之(ネットより引用)

家光は、謹直で有能な異母弟を可愛がりました
家光は死に臨んで枕頭に正之を呼び寄せ、「宗家を頼みおく」と言い残しました
感銘した正之は、『会津家訓十五箇条』を定め、幕末の藩主松平容保はこの遺訓を守り、最後まで薩長軍と戦いました
正之は幕府より松平姓を名乗らず、養育してくれた保科家への恩義を忘れず、生涯保科姓を通しました

4代将軍家綱の輔佐役として文治政治を推し進めました
末期養子の禁を緩和し各藩の絶家を減らしました
家康が決めた『先君への殉死』の禁止を幕府の制度としました
玉川上水を開削し、江戸市民の飲用水の安定供給に貢献

会津藩藩政
藩政にも力を注ぎ、それまで行われていた百姓に対する恣意的な扱いを禁じました
相場米買上制を始め、升と秤の統一を行いました
藩士に対し、殉死を禁じ、朱子学を藩学として奨励
90歳以上の老人には、身分を問わず、終生一人扶持を支給し、日本の年金制度の始まりとされています
水戸藩主徳川光圀、岡山藩主池田光政と並び江戸初期の三名君と賞されています

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