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第78回 昭和36年夏 キャンプで壁画作成
2014年12月02日
テーマ:テーマ無し
高校1年の授業は、代数1と幾何1、現代文と古文、生物などの科学、歴史など公民社会と教科書が増えた分、忙しい感じだ。
一方、気分転換になる授業は、保健体育が週2時間あるだけで、後は全部机に座ったままの授業で、私は午後特に頭が疲れる。
中学の時のように表現したり体を動かしたり笑顔になる授業が無いので、それらの授業が懐かしい。
日曜日の高校生会で、讃美歌を歌ったり、唱歌や流行歌の歌声喫茶のようなプログラムは、オンチの私にも楽しかった。
嬉子ちゃんが出席の時は、必ず帰りに近くの図書館に寄るので付いて行き、勧められた本を読んだ。
その頃は以前に比べて、教科書と同じ程度の長さで内容が易しい小説が読めるようになっていたが、読書にあてる時間がなかなか取れない。
教会学校の部屋から、ピンポン球の音がするのを、楽しみにしていたのだが、靖くんは仕事が休みの時しか来れないので、たまにしか卓球が出来ず残念だった。
土曜日のしずちゃんの家での料理の手伝いと、週一回お兄さんの仕事が休みの夕方のマージャンが気分転換になる。
土日の楽しみがあったので、変化の無い新学期の高校生活を無事過ごし、夏休みをむかえる。
土曜日に、敏春先生の絵の教室に行きたかったが、先生は山奥の小学校の教頭先生になられて、会うのが難しくなった。
冬の大売りだしの手伝いに洋装店に行った時、「夏休みに手伝いに来てね。」と子ども服店のおばさんに頼まれていたので、いそいそと出かけた。
そんな時、日曜学校の小学科の先生をしているおばさんに、「夏のキャンプの時、子ども達で壁画を作るんよ。手つどうてね。」と、頼まれる。
キャンプは、お盆の頃で、子ども服店は盆休みなので、ちょうどいいので、「ハイ、手伝います。」と笑顔で応えた。
おばさんは絵を描くことが好きで、「日展」という大きな展覧会で入賞した人だ。
キャンプ当日、おばさんが、3人の博士の絵葉書を見ながら、4枚貼り合わせた模造紙に、太い筆に墨汁を付けて、博士達を描いた。
私も、博士のマントの裾や足を描く。
墨が乾く間に、みんなで、色紙や色つきの包装紙を、3〜4センチ角にちぎる事にしたが、おしゃべりしたり歌をうたいながら楽しくドンドン出来た。
ちぎった紙を色分けした時、ちょうど昼食の時間になったので、婦人会のおばさんが、手作りのおにぎりと玉子じゃがいもちくわこんにゃくの関東煮を持ってきてくれた。
美味しく食べた後、さっそく、紫のガウンは1年生、赤のガウンは2年生と言う風に、みんなで手分けして色紙を貼り始める。
おやつの時間前に、大きな壁画が仕上がり歓声があがり、すぐに礼拝堂の壁に貼ることにした。
輝く立派な壁画を見た婦人会のおばさん達が、「すごいねえ。」「よく頑張ったねえ。」「立派な作品じゃねー。」と拍手喝采を送ってくれたので、子ども皆は誇らしい顔になる。
次の日曜日にも、壁画を見た教会の人達みんなが、同様に感心して褒めてくれたので、子ども達はますます嬉しくなった。
私は、この時、やっぱり「絵の教室の助手か先生になりたい。」と、強く思った。
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