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平成の虚無僧一路の日記

江戸時代にも 日蓮宗批判 

2014年12月06日 外部ブログ記事
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『名古屋叢書』 第18巻 随筆編 (1)
P.258  「塩尻拾遺」 巻49
仏教に顕あり、密あり、禅あり、顕に大小の別あり、密に唯雑の分あり、
禅に仏祖の機あり。一流(派)に執するが故に、顕を以っては密を抵し、
密を以って顕を侮り、禅を以って顕密を慢す。各々自法に著し、己我の
私を先とす。
就中(なかんずく)、かの日蓮が邪流の如き、尤も拙くあさまし。我執あくまで
甚だしく、凡そ仏祖の開花を誹謗し、宗社の神祇を蔑(ないがしろ)にし、
王国の法禁を犯す。他宗を見ること怨敵の如く、己が宗にても、流儀の
たがへるをば 鬼〇(「或」の下に「虫」)のごとく悪み、骨肉の親わさへ
己の宗ならぬをば頑囂(がんきょう・ごう)とし、巨魁と思へるさま いと
かはゆし。他の檀那を欺き、誑(たぶら)かして 己に随(したが)はしめん
事をのみ 思ひとせり。何の道理もなき事に、腹 悪しく いさかひ
ののしるさま、仏法者の心入りをもうち忘れて、いやしき風俗に染まり
たるこそ、不便の次第なりける。
(以下略)
古(いにしえ)より、この宗門(日蓮宗)の坊主ばら、強梁不義を以って
刑罰せらるるもの百以上も数ふべけれども、学才英哲にして徳義ある者は
一人も聞こへ侍らず。嗚呼。拙なるかな。
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江戸時代も今も変わりませんな。学会の人々にも突きつけたい一文でござる。
虚無僧の私に対して「地獄に落ちろ!」とか「今すぐ、車に轢かれて死んでしまえ!」と 
唾を吐きかけるのですから、全く、仏法者にあるまじき教団でござる。
 

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