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江戸の文化人(会津屋・太宰・塙) 

2014年12月06日 外部ブログ記事
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江戸時代の文化人

会津屋八右衛門 ⇒回船問屋(浜田藩御用商人)藩御用船「神福丸」
太宰 春台   ⇒儒学者・経世家
塙保己一    ⇒盲目の勉強家『国文学名家肖像集』


























江戸時代の文化人(ネットより引用)


会津屋八右衛門
各藩が外国と貿易することは国法により禁止されていたが、浜田藩は借財に苦しんでおり、渡航申請を黙認していた
八右衛門は、竹島に渡り、李氏朝鮮、スマトラ、ジャワなどと密貿易を行ってた
蜜貿易で巨利を得てたが、幕府隠密の間宮林蔵に密貿易を探知され発覚してしまう
八右衛門は斬罪に処された
八右衛門らは、財政危機を救おうとした人物たちとして、地元をでの支持は根強い

太宰 春台
漢詩・天文学・地学・朱子学などから、荻生徂徠の門に入り、儒学特に古学へと転向した
江戸の小石川に塾を開き、多くの門人を集めた
征夷大将軍こそが「日本国王」で、鎌倉・室町・江戸の3時代それぞれに別個の国家が存在したと賞賛
著書に『経済録』・『経済録拾遺』・『産語』・『聖学問答』・『弁道書』・『三王外紀』等


塙 保己
国学・和歌を萩原宗固に、漢学・神道を川島貴林に、法律を山岡浚明に、医学を品川の東禅寺に学んだ
塙保己一は、書を見ることはできないので、人が音読したものを暗記して学問を進めた。
晩年の賀茂真淵に入門し、『六国史』などを学ぶ
歴史史料の編纂にも力を入れていて『史料』としてまとめられている
盲人としても、盲人一座の総録職となり、盲人一座十老となる

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