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平成の虚無僧一路の日記

11/ 3  (つづき) 無抵抗 

2010年11月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



五木寛之の『親鸞』にも、吉川英治の『親鸞』にも
親鸞につきまとう「悪人」が出てくる。親鸞は徹頭徹尾
「無抵抗」を貫き通す。すると仏の加護か、いつも無事
難を逃れるのだ。

虚無僧も同じだ。本当に なぐりかかってきたら、尺八で
顔面を殴打すれば、勝てるかもしれない。でもそうすれば、
私の方が加害者となってしまう。映画の『悪人』と同じだ。
誰が「悪人」なのか、逆転するのだ。

新聞に「傷害罪の犯人」として載れば、二度と虚無僧として
立てなくなる。12月2日の、警察の「交通安全PRイベント」
にも出れなくなる。 “ 試されている ” のだ、と思うと、腹は
座った。

そうは言っても、昨今、「無差別通り魔殺人事件」が多い。
つい、一昨日もあった。いつ襲われるか判らない。
「 いつ死んでもいい覚悟 は できている」とは言うものの
本当に襲ってきたらどうしよう。いろいろ考えた。

逆に襲う立場で考えてみると、虚無僧の装束って、結構、
防備が堅いのだ。天蓋を殴っても、ぶらぶら。暖簾(のれん)に
腕押し。胸には偈箱(げばこ)。肩は袈裟で覆っている。
腹は分厚い帯。左脇腹には替え尺八、右の腰には印籠。
前は尺八を構えているから、刺せる所は無い。

背中から襲われないように、私は、いつもポールや樹木、
壁を背にして立つ。また、ショーウインドやガラス戸の
前に立つようにしている。そこに、自分の姿と背後と
左右が映るから、近寄ってくる人の動きが判るのだ。

それでも、歩行中に、背後から、ナイフを持って走りざまに
突いてきたら、どうするか。ぶつかってきた瞬間、相手の
勢いに合わせて動くことだ。「無抵抗」とは、「風の如く
流れること」と悟る。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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