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平成の虚無僧一路の日記

名古屋山三郎 

2014年11月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



『名古屋叢書』 第16巻 風俗芸能編(1) P.321
「尾陽戯場事始」巻之上
「尾張人物誌」に曰く。「名古屋三左衛門は、古渡村の人。
幼名 山三郎。 初め 蒲生氏郷に仕え、後、森右近忠政に
仕え、禄 三千石。容顔美麗、天下の男女一目見る者あらば
必ず、心動かさざること無し。 しかし、後に浪人し、出雲の
於国という巫女と妹背の契りをなし、京都北野に踊り子を
集め、説教節に合わせて舞わせたところ、この道盛んになり、
今の世の芝居の初めなり。
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その挿絵 (名古屋山三郎か?)P.322 大小を差した侍
二人が描かれていて、その一人が、虚無僧のかぶる
天蓋のような深編み笠をかぶっている。
虚無僧の天蓋は、虚無僧独自のものではなく、元禄の頃
一般武士のかぶりものだったのだろうか。
 
名古屋は「芸どころ」といわれるが、歌舞伎の中村座も
名古屋発である。
幕末、慶応3年に起きた「えぇじゃないか」踊りも、名古屋発
とのこと。
 
 

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