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平成の虚無僧一路の日記

「西濃運輸ものがたり」から「くやしさを噛みしめる赤飯」 

2014年11月22日 外部ブログ記事
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中日新聞に連載中の「時流の先へ−中部経済ものがたり」
11/22  「西濃運輸」の創業者「田口利八」氏(故人)の話。
「西濃運輸」の企業理念は「花を見てみろ」。
田口利益八」氏の心の支えとなった母の言葉だそうだ。
「畦道に咲く 福寿草は、踏まれても 必ず花を咲かせる」。
「不撓(ふとう)不屈」の精神。
11/20 の記事は
戦後まもない昭和22年、田口利八は「トラック輸送の時代が来る」と
確信して、運輸省に「長距離輸送定期便」の申請をしに 上京した。
当事は、まだ食料難。国鉄の輸送もままならない時代。高速道路も無い、
国道も未舗装、ガソリンもない。運輸省のこっぱ役人は、「そんなこと
検討したこともありません」と にべもなく、門前払い。
利八は、日持ちする赤飯のにぎりをたくさん持参し、運輸省に日参した。
そして20日目に、ようやく「申請書」を受け取ってもらえ、4年後の
昭和25年、念願の「名古屋−東京間」の長距離輸送の免許が下りた。
日本初の快挙。その年の12月25日、東京行きの第一便が箱根を越えた。
ガソリン車ではない “木炭車”。 何度もエンストし、道端の枯れ枝を
燃料に ようよう 箱根を越えた。
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私も 昭和42年、免許取り立てで、従兄弟と二人で、トヨタ、ニューコロナに
乗って、京都、奈良から紀伊半島一周のツアーに出た。東名高速は
まだ厚木までしか開通していなかった。 箱根の急坂を あえぎあえぎ
時速20kmぐらいで登るトラックを、追い越す。国道1号線でも、道幅は
上下二車線しかない。カーブの向こうから対向車が来ないことを せつに
祈ってアクセルをふかす。最高時速は60kmしか 出なかった。
あの時の情景、スリルが 未だ 脳裏に焼きついている。
それだけに、西濃の第一便トラックの快挙、いや暴挙がどれほどの
ものだったかが判る。
それも、「利八」氏が、運輸省の役人に門前払いされた時の悔しさが
すべての原動力。
「セイノーホールディングス」となった今日でも、11月1日の創立記念日には
「赤飯のにぎり」が ふるまわれるとのこと。
お祝いごとの「お赤飯(せきはん)」ではなく、くやしさを噛みしめるための
古代米の「赤飯(あかめし)」のようだ。
私も、尺八では お役所は 相手にしてくれないこの悔しさをかみしめて、
今日は、非常食用の保存米の「赤飯(あかめし)」を炊いて 食(く)うべるたん。
 
(補注) 近代オリンピックの提唱者「クーベルタン」。1896年 第1回アテネ
オリンピック開催までは、イバラの道だったようです。
「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく、参加することに意義がある」と
いうのは、実はクーベルタンの言葉ではないとのこと。セントポール大寺院の
ペンシルヴァニア司教の説教に感激したクーベルタンが、晩さん会などで
語ったために広がった由。
クーベルタンはこう言っています。
「人生で重要なことは、勝つことではなく、戦うこと。 相手を打ち負かしたこと
ではなく、いかによく戦ったかが最も大切なのである。人生は闘うがゆえに美しい」と。
そう、「人生は闘いだぁぁ!」

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