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心 どまり

流星=天狗 

2014年11月20日 ナビトモブログ記事
テーマ:季節

 日本各地に伝わる天狗伝説の『天狗さん』
そうです。あの赤いお顔に高い鼻!一本歯の下駄を履き、団扇を持った山伏姿の天狗さんです。その天狗さんの由来が、流れ星であると言う事を御存知ですか?
「えっ!」と思われたナビ友さんもいらっしゃるでしょうね!
私も、この記述を初めて読んだ時に、流星と天狗がどう繋がるのか、とても不思議でした。

 古の中国では、流星や彗星が尾を引き流れる様子から、狗(犬)や狐を連想し、『天の狗(いぬ)』で『天狗』と呼び、災いをもたらす凶星と恐れていたようです。

 日食や月食、流星や彗星と言った、天体現象や自然現象の発生プロセスが、解明されていなかった時代(七世紀)の出来事であり、古の人々が吉凶の判断手段として捉えたのも、致し方無い事なのかもしれません。

 日本に残っている流星の最初の記録は、『日本書紀』に記されています。
『舒命(じょめい)天皇の九年(634年)、大きな星が東から西に流れ、雷に似た音を聞いた、唐から帰国した学僧・旻(ミン:本名は日文とも言われ、旻は縦書きに記された墓碑の誤読説もある)が「流星に有らず、これ天狗アマキツネなり」と言った」と言う記述が、天狗の初見とされています。

 七世紀頃は、中国文化の影響を受け、日本の文化が急速に発展した時代でもあります。
その様な時代に、怪奇現象の一つとして『天狗』が加わったのでしょうね!
しかしながら、日本書紀以来、平安時代迄どの書物にも、天狗らしき物は見当たりません。
結局、中国の天狗感は日本には馴染まず、根付きませんでした。。

 日本人(大和人)の『天狗』に対する捉え方は、少し違っていたようです。
妖怪と化し、文献に登場するのは、平安時代に成ってからです。

 平安時代、天狗の住む世界(天狗道)は、倣慢(ごうまん)な僧の死後、転生する魔界と考えられていました。
傲慢、高慢など、自慢する、得意になる、いい気になる、うぬぼれる事などを、『天狗になる』と言いますが、傲慢さの象徴として、後々天狗の鼻は高くイメージ化されたようです。
言葉が先に生まれ、形(天狗の鼻)が後から出来たのです。前後が逆ですね!

 現在の『天狗』のイメージは、古の中国で狗(犬)や狐に例えられた流星(狗)や隕石(怪物)が、日本では山中に住み、空中を飛ぶ鬼の姿をした妖怪となり、天狗道で鼻の高くなった天狗と山伏(山岳信仰)が重なり、今日の天狗の姿になったようです。

 仏教で言う所の『六道』から外れたのが『天狗道』で有り、外来の新興宗教の仏教に対する、日本古来からの神々を象徴するものが、『天狗』だったのかも知れません。



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星に願いを・・

さん

When you wish upon a Star

山に棲んでる時は流れ星はちょちゅう見ましたが、下界に降りてからは・・
みないなぁ

流星群はチェックしてるけど、天気もあるし自分が起きれなかったりまた忘れたりと縁がないです^^

2014/11/20 18:58:24

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