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たかが一人、されど一人

旧友との偶然の出会い 

2014年11月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

先月末に義姉急死の知らせを受けてから暫くご無沙汰していた図書館に行ったところ、昼飯時にばったり古い友人に出会った。少し年が離れているが、年金生活者であることではご同輩である。彼が社会人になる時少しばかりアドバイスしたことがあることを忘れず、律儀に今でも中元歳暮を送ってくれる唯一の人間である。こちらはそのような娑婆の義理を一切やめてしまったので、もういい加減にしてくれと何度頼んでもやめない、良い意味で言うのだが一風変わった哲学の持ち主である。昨年暮れのこと、歳暮の礼を言おうと電話をしたら、奥さんが出て「実は入院してしまいまして・・・」とだけで入院先も教えてもらえなかった。今年の中元時にまた礼の電話をすると「実は肺癌で手術をしまして、直りましたらこちらからご連絡させて頂きますのでご放念願います。」で1か月ほど前に本人から久し振りに電話があり、「無事自宅に復帰したので、近いうちに昼飯でも食いましょう。」とのことだったので少しほっとしたところだった。彼の趣味が歴史(主に日本の平安から鎌倉時代くらいではないと推察している)であることを知ってたし、図書館で偶然会ったこともあるが、今日また出くわすとは思ってもいなかった。兎に角1年以上会っていなかったので、図書館の食堂で1時間半も話し込んでしまった。手術をしてから丁度1年近くになるそうだが、思いの外元気そうで、外見はあまり変わっていないように見える。もっとも本人言わせると「背中にピンポン玉くらいの穴が開き、一時は体重が10キロ以上落ちるわ、声が出なくなるわで大変だった。」何と言っても気力が萎えたそうだ。8時間以上の大手術で右肺の半分くらいを切除したらしい。そのために背中から開くらしいが、肋骨を3本切除されてしまったとのこと。2か月強の入院と220日連日通院したので、すっかり病院通になってしまったとのこと。5年後の生存確率50%と言われているらしいが、全く落ち込んではいない。むしろ病院での体験と見聞を通じて、現代医学の進歩を実感できるようになったそうだ。気力の衰えどころか、東京オリンピックはこの目で見ることができるだろうと自信満々である。手術した病院は杏林大学医学部病院、最近のお医者はドライと言うか患者に同情的な言葉は余り言わないでずばずば言うが、やはり大病院の方が安心できるねとのこと。母が97歳で健在でだが、父が比較的若く亡くなったのは病院の選択を間違えたような気もするそうだ。その他医療費負担と社会保障制度や保険の話など、参考になることをいろいろ聞かせてもらった。

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