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昭和2年生まれの航海日誌

凄いでは真意は伝わらない 

2010年10月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



      ゛凄い”という言葉は使ったことがないように
     思う。最近は若い女性の間ではそれが氾濫し
     ているようだ。

      昨夜、NHK「藤原紀香のスマトラ島ルポ」を
     観ていたら、やたらに凄いが出るの切ってしま
     った。 NHKであれだものなー。

      言葉だから大切にしたい。 先人たちの博学
     碩学の前でモノ申す者ではないが、私ども
     サイドではこう思う。

      卑近な例ですと。食味した直後の一声が
     ”凄い”である場合が多いのである。美味し
     かったか、甘いか辛いかが判らない。

      「凄く美味しかったと云うのだ、判るだろう」と
     言いたいのかもしれないが、私どもはその
     第一声に集中しており、ドンピッシャリの答えを
     待ち受けていたのである。
     気が抜けた上に、ふさわしい言葉でもない。

      驚いていては進めない
     ゛凄く大変”というのがあった。度肝を抜かれた。
     一体どう言うこと。

      著作者の方は゛凄い”をどの程度あしらって
     おられるか。
      頁数の少ない、 新潮文庫 瀬戸内 寂聴さん
     の 「真夜中の独りごと」を開いてみた。

      2か所あったが、それらはいずれも前置きが
     あってのものだった。
     一例として「それでも70万票集めたのは凄い
     ことだた」とされている。だから判りやすい。

      ”凄い”で困るのは、最初から下卑た言葉で
     しかも、判断を求めるようなところがあることだ。

      聊かでも茶道、華道を嗜まれた方は言葉も
     奇麗で美しいとおもう。
      

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