ひとりでお茶でも。

刷毛に毛があり、禿げに毛がなし。 

2014年06月27日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

江戸末期から明治の御世になった当時の日本は、多くの文物を外国に習い倣って近代国家を造り上げたことは周知のとおりであり、その事実は義務教育でつぶさに教わる。

少々脇にそれるが、外国から習ったり伝授されたことが公やけになることを酷く嫌う国がある。
こうした国の民は、他国から教わることが民族の誇りを傷つけると思っているのか、可笑しな性向だ。

スターリン時代のソ連邦では、あらゆるものの発見・発明はソ連人が為した、とソ連邦の学校では教えていた。例えば、飛行機の発明はモジアエフスキーであって、ライト兄弟ではない。
(ついでに、ソ連邦とは15の共和国からなる共産主義連邦であり、そこにはロシア人、ウクライナ人、カザクフタン人などがおり純粋の意味でソ連人という民族はいない)

韓国も教わったことを隠す傾向が大である。
例えば、韓国の基本的法律の殆どは日本の法律のコピーである、と友人であった判事出身の弁護士(故人)が発言していたが、韓国人はそれは言わない。これは韓国が36年間日本国として日本の法律下にあったゆえに、独立後にも日本の規範を踏襲した当然の帰結なのであろう。
また韓国工業規格(KS)は、基本的に日本工業規格(JIS)の日本語を韓国語に換えたものである、と友人(当時国立ソウル大学校・工科大学長)が語っていたが、韓国人はそれを言わない。

日本の遺伝学者・木原均博士(故人で京都大学教授)による発明の『種無し西瓜』が韓国近代農業の父と呼ばれる禹長春氏(日本生まれで東京帝国大学・農科大学実科卒。実科はいわば専門部にあたり、この実科は昭和前期に東京高等農林学校となり、戦後には国立東京農工大学になっている)が発明した、と韓国の小学校の教科書に掲載されている。
それは私の世代が国民学校で野口英世、豊田佐吉や御木本幸吉を偉人として教わった様なものであるが、この『種無し西瓜』は禹氏の発明では全くなく、完全なパクリである。
なお、禹長春氏に関しては、角田房子氏が『わが祖国―禹博士の運命の種』に長編小説としている。また禹長春氏の夫人(日本人)から生まれた四女が京セラの稲盛氏(京セラや日本航空名誉会長)の妻である。

本論に戻る。
近代国家への黎明期の日本は、明治憲法はプロイセン王国(後のドイツ帝国)から、医学、化学、陸軍もドイツから。海軍、鉄道、造船(江戸幕府は横須賀造船所をフランスから技術導入)は英国から。教育関係はお雇い外国人が英、独、仏、蘭、米などから招聘したが、制度としての基本は米国式であり、これに伴って西洋音楽教育もイタリアやドイツではなく、米国であった。

国体を定める憲法はプロイセン王国から導入しながら議会制度は英国から導入するというヤヤコシイ仕組みになっている。

英国から導入された議会制度の下の国会議事堂の椅子(座席)は、個人の座席が指定されていない英国式の長椅子ではなく、欧州に倣ってしまっている。長椅子より個々の座席がある方が重みがあり、権威を醸し出して威圧感をあたえるので善しとしたのであろう。
長椅子式は相応しくないと採用しなかった日本であるが、英国議会からは『野次』は導入してしまったのである。

英国では貴族やジェントルマン(階級)の子弟が学ぶ全寮制のパブリック・スクールでは5年間日夜討論をする習慣があり、またロンドンなどの公園で個人が演説をするという風土があるが、日本の武家社会では『沈黙は金』として、男子は『ペラペラ喋るな、笑うな、厨房に入るな』と生育されてきたのである。

ウイットとユーモアを尊ぶ英国では『野次は議論を進展させるために不可欠で議会の花』として
いるが、『沈黙は金』の日本人の議会での野次は、学生運動の延長のガナリや直截的表現が主流である。
社会生活でのウイットやユーモアは1世紀では育たない文化と思われ、今年は明治146年なので50年後の明治200年頃には、日本の国会でもひねりのある野次が聞かれるかもしれない。

国会で爆弾発言をしたり、ラスベガスの賭博を語ったり、衆院予算委員長の際には宮本顕治というべきを『宮澤賢治』と叫んだりした天衣無縫の浜田幸一氏ことハマコー氏(千葉県選出衆議院議員)は、野次に関しては極めて厳しい規範をもっていたと嘗て読んだ。
死の前に個人破産をして冥土に旅立ったハマコー氏は、野次の三羽カラスの雄として活躍(?)したが、その『野次三戒』は下記である。

1.女性議員には野次らない。
2.国民に生きがいを与える様な野次。
3.ナイス・ジョークである。

今回、みんなの党の塩村文夏・都議会議員が子育て支援等に関する質問中「早く結婚したほうがいいんじゃないか」などとの野次があったことだが、都議会議員も野次に関しては、ハマコー氏から学ばなければならない。

世の中は澄むと濁るとでは大違いで『刷毛に毛があり 禿げに毛がなし』という諺があるが、「早やく結婚したほうがいいんじゃないか」ではなく、せめて『婿さん候補を待たせるな』や『早やく自分の蠅を追って』などであったならば、問題ヤジにはならなかったのではいかと思っている。

英国議会では、野次に答えながら発言者を巧みにコントロール(制御)するとことが見られるとのことであり、日本の国会でも老獪な議員は野次発言者を嗜む表現で対応した光景もあったと記憶している。

野次が相手の人格を貶めるものであっては決してならないことは、人として自覚すべきであるが、今回の野次案件は、思索することを怠り本を読まない世代が主流となった今日の日本を如実に示すものと感じている。



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