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平成の虚無僧一路の日記

「珠玉の音に挑んだ男たち」竹内明彦氏 

2014年06月04日 外部ブログ記事
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「竹内明彦」君の葬儀会場に、なんと「ウィーンフィル」から
弔辞が届けられていました。そして、NHK特集でしょうか、
「珠玉の音に挑んだ男たち」という番組のDVDが流れていました。
それによると、

竹内君が、ヤマハに入社してまだ3年、彼25歳。1970年代のこと。
ウィーンフィルから、トロンボーンなどの古い管楽器の修復の話が
飛び込んできたといいます。当時のヤマハでは、まだ管楽器を
製造する技術もノウハウも持っていなかった。

ヨーロッパの管楽器メーカーに教えを乞いにいっても、「日本人に
教えたら、カンタンに真似して、安く売るからとんでもない」と
門前払い。

まず、管楽器の材料の「真鍮」の板から作らねばならない。
真鍮は「銅Cu と亜鉛Zn 」の合金。その配分からして判らない。
200種類もの試作品を作って、納めたが「音が違う」と。

そこで、古楽器の成分を顕微鏡で調べた結果、鉛などの不純物が
含まれていることが判った。不純物は とり除いた方が良いと
思って、無視していたが、これこそ、音色を決める重要な鍵と
気づく。


この話は、実に興味深い。塩化ビニール(エスロン)や
プラスチックで作った尺八は、均質的で、良く鳴るが、どれも
同じ音でつまらない。やはり、「竹の自然な素材、中も真円でない
ことで、それぞれに個性ある音色が出る」ということと共通する。

さて、彼らの なみなみならぬ努力があって、今日、ヤマハは
ピアノだけでなく、管楽器も世界に冠たる製造技術を誇っている。


ところで、ヤマハの発祥の地は、浜松の虚無僧寺「普大寺」でござる。
明治4年に普化宗が廃止となって、廃寺となっていたところを
借り受けて、山葉虎楠が、手風琴の製造を始めた。一説には、
「普大寺」の本堂は 小学校の分校として利用され、音楽で
使われていたアメリカ製のオルガンが故障したことで、市内の
機械器具修理職人「山葉虎楠」に修理の依頼をした。それで、
山葉虎楠が、寺の庫裡でオルガンの修理をしたのがきっかけとか。

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