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朱鷺の“人生七転び八起き”

人の言葉がカチンと来る 

2014年04月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

フッと思いついて『指摘』という言葉の意味を、はっきりさせるために辞書で調べました。「『指摘』という言葉は、欠点や誤りを指し示す言葉である」ということです。私は指摘することと、批判・非難することとは、別のものだと思っていましたが、同じようですね。ゴハン粒が頬に付いているのを見て「ついているよ」と言うのも、指摘のようです。つまり、ゴハン粒が付いているのは、あってはならないこと、なので「指摘する」となるのでしょうか。さて、指摘する・・・マナーでは。「指摘してください」と本人が相手に依頼することなんですね。論文を書いて「なにか気になるところがあったら、指摘してください」とお願いする。ような感じ。依頼されていないのに「指摘する」のは、失礼である。という面もあるようです。ある人と話をするとき、私の場合はその個人に向けて話しているのではない・・・のですよ。だって、その個人なんて。知らないもん。どんな考えを持っているかとか。どういう人かとか。どうなって欲しいという希望も期待も持っていないし。自分自身はまったくの白紙で「これは、どうなんでしょうか」と。、「自分に話しかけられた」「自分の書いたものに対して、物申している」と思うと、肯定されたというのや、否定された・非難された。となることは、よくあることなんですね。でも、ただ単に「そこにある問いかけ」とか、「問題点」とかに対して、相手が話しかけていると思うと、自分と言う色々なモノを取っ払って、検討できるのです。私は自分が書いたものでも、誰かが、それに対して「あーのこーの」と言っても「自分に対して」何か言ってきている。とは受け止めていませんね。ある文章があって、それに対しての、相手のご意見だったり、するわけで。変なんですけど「自分が話しかけられている」と感じてません。そうであればこそ、損得なし・条件付け・恐怖なし批判が入ることもなく〜・・・まっさらの場でソレそのものを検討しあう。が出来ると思うのね。何事にも「自分を入れない」で、見る。それが、ただ事実だけに向き合う。ということ、じゃないかな。私の場合、よく使う言葉は「提案する」なのですね。苦肉の策ですけど。そして「これこれは、これもありますが、どうでしょう?」みたいな。否定するのではなく、提案する方向。ただ否定しても建設的ではないのね。言われた方も、なにを指摘しているのか分からない? では意味を成さない。ただ「お前は悪い」と責められた感じにもなるでしょうね。ひとつの問題を「アナタの問題」にするのではなく、お互いの問題としてコミュニケーションする。・・・って、大事じゃないかな。言葉は、正しく相手に伝わってこそ道具として使えるもの。かな。言葉って、簡単に人を傷つけることの出来るものでもありますね。

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