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ロシアと「百万本のバラ」考・松山善三の訳詞 

2014年03月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:暮らし

ものの本によれば、作詞とは、歌詞のある楽曲における歌詞を作ることである。

 また、訳詞とは、歌詞を翻訳することである。

 そして、翻訳とは、ある自然言語の語、句、文の意味・内容をできるだけ損なうことなく他の自然言語のそれらに移し換えることをいう。

 英語で表現される歌詞のあるアメリカの楽曲を例にする。

 これを日本語に訳すのは、日本語への訳詞であり、具体的には、英語の歌詞を日本語の歌詞に翻訳することを意味する。
 そして、翻訳の定義からすれば、英語の語、句、文の意味・内容をできるだけ損なうことなく日本語のそれらに移し換えることになる。

 これらの意味合いの流れからは、英語の歌詞付きのアメリカの楽曲を日本語へ訳詞する場合、作詞家Aと作詞家Bとで、ほとんど差異はないものと理解してきた。

 作詞家Aと作詞家Bが、例えば、尾瀬をテーマとする同じ楽曲について、日本語の歌詞を作る場合は、もちろん、両者の歌詞が大いに異なるのが普通だ。

 そうではなく、アメリカの楽曲における特定の英語の歌詞を日本語の歌詞に翻訳する場合は、翻訳される元が同じ特定の英語の歌詞だから、日本語の歌詞は、ほとんど同じになる。と、理解してきたのだ。

 しかし、現実は、そうではない方が多いらしい。つまり、英語の歌詞付きのアメリカの楽曲を日本語へ訳詞する場合、作詞家Aと作詞家Bとで、ガラッと異なることは、なんも不思議でないということだ。

 
 バルト海に面してヨーロッパ北東部に位置し、ロシアと接する国家は、バルト三国と呼ばれる。エストニア、ラトビア、リトアニアの三国で、いずれも小国である。

 1981年にラトビアの放送局が主催する歌謡コンテストで、ラトビア語の歌謡曲が優勝した。そのラトビア語の歌詞付きのラトビアの楽曲が「百万本のバラ」である。

 そのラトビアの歌謡曲「百万本のバラ」は、何人もの日本人によって、日本語に訳されている。そのうちの二人を取り上げる。

 まずは、歌手加藤登紀子の訳詞による「百万本のバラ」だ。

 小さな家とキャンバス 他には何もない
 貧しい絵かきが 女優に恋をした
 大好きなあの人に バラの花をあげたい
 ある日街中の バラを買いました

 百万本のバラの花を
 あなたにあなたにあなたにあげる
 窓から窓から見える広場を
 真っ赤なバラでうめつくして

 歌手加藤登紀子訳詞の「百万本のバラ」は、恋の歌だ。貧しい絵かきが女優に恋をした話で、恋は盲目だ。あるいは、貧しい絵かきの愛は百万本のバラに匹敵するほどに大きい。あるいは、結局、恋はかなわなかったけれど、貧しい絵かきの心にはバラの思い出が永遠に刻まれた。という話になる。

 一方、映画監督、脚本家の松山善三の訳詞による「百万本のバラ」は、趣がかなり異なる。

 信じてくれますか ひとりの若者が
 小さな家を売り バラを買いました
 信じてくれますか 嘘だと思うでしょう
 街中のバラを あなたに贈るなんて
 

 バラを バラを バラをください
 ありったけのバラをください
 あなたの好きなバラの花で
 あなたを あなたを あなたを包みたい

 バラを バラを バラをください
 百万本のバラをください
 ぼくの ぼくの ぼくのこの命
 あなたに あなたに あなたに捧げましょう

 貧しい絵描きの僕に できるのはひとつ
 何もかも捨てて あなたを思うこと
 誰も知らない 心のささやきを
 花びらに添えて あなたに贈りましょう

 バルト三国は、帝政ロシアに支配されていたが、ロシア革命の後、第一次世界大戦後の1918年に三国とも独立を達成する。しかし、それも束の間であり、その後、1940年にソビエト連邦に併合されてしまう。

 1991年のソ連崩壊により、バルト三国は、ようやく独立を回復する。ラトビアをはじめとするバルト三国は、長い長い苦難の歴史をたどってきているのだ。

 「百万本のバラ」が世に出たのは、1981年であり、その十年後、1991年に、ラトビアは独立を達成したことになる。

 強大国の帝政ロシア、それに続くソ連に圧迫され、蹂躙され続けた、悲しき祖国、愛しき祖国、ラトビア。

 津軽のシニアブロガーの解釈では、松山善三の訳詞による「百万本のバラ」は、祖国ラトビアの独立を願うラトビア国民の祖国愛の歌だ。
「あなた」は祖国ラトビアで、「ぼく」はラトビア国民である。「百万本のバラ」のバラは祖国愛を意味する。


翻訳の定義からすれば、訳詞は、ラトビア語の語、句、文の意味・内容をできるだけ損なうことなく日本語のそれらに移し換えることになるはずだ。

しかし、加藤登紀子の訳詞と松山善三の訳詞によるそれぞれの「百万本のバラ」を見比べると、訳詞は、単なる翻訳ではない。それは、事実上の作詩と言える。

 ラトビア語の歌詞付きのラトビアの楽曲としての「百万本のバラ」。訳詞家は、それを読み、イメージやインスピレーションを働かせながら、解釈をし、独自の「百万本のバラ」の世界を構築する。

 それは、原曲を元にした、訳詞という名の創作である。

 松山善三の訳詞による「百万本のバラ」は、祖国ラトビアの独立を願うラトビア国民の祖国愛の歌。

 「あなた」は祖国ラトビア、「ぼく」はラトビア国民、「百万本のバラ」のバラは祖国愛。

 そんな「百万本のバラ」は、聴く者の気持ちをひしと捉え、心にしみる歌である。

 そして、今、クリミア半島の編入をめぐるロシアと欧米諸国の対立が激化している。

 それゆえ、なおさら、松山善三の訳詞でシャンソン歌手別府葉子さんが歌う「百万本のバラ」が心にしみる。



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