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「好奇心・微笑みの国タイ」 

2014年01月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:暮らし

 十七世紀の哲学者、数学者、物理学者であるパスカルは言っている。「人間は一本の葦であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。しかし、それは考える葦である」。

 しかし、パスカル先生に物を申し上げるのではないが、人間は、単なる考える葦ではない。人間の本質は、「気づき、考え、行動する」点にある。 

 気づくという言葉の意味は一様ではない。分かる、知る、感じとる、見い出す、思い至る、 察知する、見つける、発見する、 見受ける、認識する、悟る、感知する、気がつく、感じとる、などであり、幅広い。

 このように、気づけばどうするか。人間は、気づいた後、考える。まさに、考える葦だ。

 しかし、考える葦は、考えるだけに止まらない。必ず、行動に移す。考えた後に何もしないという場合、その場合も、考えるだけで何もしないという、一種の行動である。

 そんな馬鹿な!と言ってはいけない。物事は、柔軟に相対することが大事である。とりわけ、シニアは、頭をできるだけ柔らかくして物事を捉える習慣をつけるに如(し)くはない。


 行動することの態様も様々であるが、考える葦である人間の行動として特徴的なのは、創造することである。

 創造の意味を辞典で調べたら、1 新しいものを初めてつくり出すこと。「文化を―する」「―的な仕事」「―力」2 神が宇宙・万物をつくること。とある。

 しかし、これまた、難しく考える必要はない。「神が宇宙・万物をつくること」のように創造するなんてできないし、「新しいものを初めてつくり出すこと」の点も厳密に考えなくていい。
 「新しいものを初めてつくり出すこと」を絶対的な意味合いに捉えると、なんも創造できなくなってしまう。まあ、相対的な意味合いで、柔軟に捉えるべきだ。
 今までは自分ではできなかったこと、しなかったことを、初めてできるようになること、するようになること、だって、立派に、創造することに該当する。

 いずれにしても、人間、朗若男女を問わず、気づいたら、考えることだ。考えたら、行動することだ。ただし、世の中の基準に照らし、悪いことはしてはならない。マイナスのことをすれば、マイナスのことが返ってくるからだ。

 そして、一番大切なのは、 ボーッとしないことだ。 ボーッとしていれば、「気づき、考え、行動する」の気づきがないからだ。気づきがないことには、考え、行動するがない。

 だから、ボーッとしないことだ。何でもいい。好奇心を持つことが大事である。

 好奇心を持ち、「気づき、考え、行動する」。これこそが人間生活の要諦、つまり肝心要な点である。


 最近、読んで楽しませてもらっている若い人のブログがある。私がシニアナビ以外で持っているブログにときたまアクセスしてくれるので、それが縁で読ませてもらっている。

 この若者は、昨年12月20日頃から1月10日頃までの予定でタイを一人で旅行しており、日常の体験をブログ記事にしている。三十歳ちょっと過ぎの独身男性のようだ。関西人であることは、関西弁の表現がひんぱんに出てくるから、分かる。
 

 タイは、よく「微笑みの国タイ」と呼ばれる。ものの本によれぱ、タイ人は、道ですれ違うときに、無言で目を合わせてにっこり微笑んでくれるそうだ。その様子を想像すれば、優しく、優雅な感じがする。しかも、相手がタイ美人とくれば、たまらんだろうな。

 というような、先入観を持って、若者のブログ記事を読むことになる。

 「どうも、○○です。」
 ○○は、ブロガーの若者のネームだ。

 「いろんなところ歩いているせいか若干疲れが溜まっている今日この頃、みなさんいかがお過ごしだろうか。」
 タイの中でいろいろなところを歩いているのだな。「微笑みの国タイ」の体験が出てくるんじゃないかなと期待が走る。

 「そんなわけで昨日は、バンコクに来て二回目のマッサージに行って来た。」
 若者でも外国で一人で歩き回っていると、そりゃ疲れてくるんだろうな。それで、マッサージ?

 「前回の反省を込めて、ベテランのちょいと小太りのおばちゃんにマッサージを受けたが、体重が乗っていたのか終わってから痛みが残った。」
 前回の反省を込めてとあるが、前回のくだりは読んでいないから、分からない。文脈からすれば、おそらく「ベテランのちょいと小太りのおばちゃん」でない女の人、まあ素人っぽいスレンダーなタイ美人のお姉ちゃんだったのだろう。しかし、何があったのかは分からない。
 で、今回は、マッサージが終わった後、痛みが残ったとある。かなりきつくマッサージされたのだろうか。

 そうしたら、とんでもないストーリーが出てきた。

 「さらに半個室で放屁されると言う事件まで発生し、超絶萎えてしまったわけだが、タイよ、俺にほどよいサービスを提供してくれまいか。」

 とても、「微笑みの国タイ」どころの話でない。そして、驚く話が続く。

 「痛いわ、放屁するわ、俺のムラサメをわしづかみにしてポジション変えるわ、タイのおばちゃんは、大阪のおばちゃんどころの騒ぎじゃない。」

 ムラサメって、何? 早速、ネットで検索をかけた。村雨(むらさめ)とは、江戸時代後期の読本『南総里見八犬伝』に登場する架空の刀と出た。要するに、日本刀のことだ。俺のムラサメは、俺の日本刀となる。

 しかし、「微笑みの国タイ」もやるもんだ。津軽のシニアブロガーは、一杯やりながら、このブログ記事を読んでいたが、夜中なのに、大声を出しながら、笑ってしまった。

 この若者ブロガーは、さりげなく記事を書いているのだが、読み手にバカ受けしてしまう。ブログ記事を書いて、読み手を笑い転げさせるのは、大した才能である。

 「微笑みの国タイ」という先入観を持って、読み始め、中身とのギャップがたまらない。やはり、関西の人は笑いの達人や。
 そして、彼の感嘆が一番愉快である。彼曰く。「タイのおばちゃんは、大阪のおばちゃんどころの騒ぎじゃない。」
 ハハハ、アーハハ、ハハハ、アーハハ。

 若者ブロガーは、次の言葉で結ぶ。

 「ほどよいマッサージ店を引き続き探すことにした。」

 あくまでも好奇心旺盛である。彼は、「気づき、考え、行動する」。若者らしく。



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