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昭和2年生まれの航海日誌

留萌の数の子でおせち 

2013年12月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


   林道が枯葉埋まれてきた。
      
   年の瀬がはっきり見え出している。

   店頭で素晴し数の子を見た。
  なんと、留萌の数の子ではないか。
  遠いカナダからやってきたことは承知している。

   大皿に移し替えてから、言ってみた。
  「君たちは留萌の空を見てきたのだなあ」

   儂は留萌でニシンの大漁を見たのさ。
   網ごと港に引き込まれ、威勢のよい掛け声でヤン衆が
  頭から湯気を立てていた。

   荷馬車に山積みされて、急坂を上がる時に、雪の上に
  ニシンは遠慮なくこぼれ落ちた。

  「これで、夏まで仕事ができる」と老婆は喜んだ。学校も
  休みになっていた。

   それが、その年でニシンは日本の何処にもこなくなった
  のである。何処へ行ったのだろう、幻の魚となってしまった。

   儂が見たのはそれが最初の最後であった。27歳だった。

   人間誰しも生涯忘れることができないものがあるそうだが、
  俺はあの光景だ。、脳裏に深く刻み込まれてしまった。

   だから、数の子と言っても「留萌の数の子}と言われると、
  ただ事では済まされなくなる。

   実のところ、数日前に数の子を求めて、塩出しをしていたが、
  いつの間にかなくなった。
   今度は正月まではもつだろう。

   ”おせち”は素晴し日本の料理、文明だと思う。
   日本料理が世界遺産になるようなら”おせち”も加えてほしい。
  
   儂は大晦日になる前に”おせち”を食べ始める。
   一人暮らしであることもあるが、腹一杯で”おせち”を頂くのは
  失礼な気がしてならない。 酒のアテがないときも多いし。

   幸いにも伊勢で生まれ、鳥羽, 志摩地方の勤務もあったので、
  海の幸と牛肉には恵まれた。
 
   今年もどうだろう、それに地酒があったら、万々歳だ。

       

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