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平成の虚無僧一路の日記

屈原 

2010年09月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



楚の国の政治家であり、詩人である。
楚の王族の一人で宰相となったが、懐王が隣国秦の
謀略に踊らされ、国を危うくするのを諫めたが受け入れ
られず、追放され、楚国の将来に絶望して入水自殺した。

屈原は放逐されてベキラの淵をさまよい歩いていると、
一人の漁夫が声をかけてきた。

「あなたは何をそんなに嘆いているのですか」と

屈原は言った。

「世の中すべて濁り、私独りが澄んでいる。人々皆
酔い、私独りが醒めている」

漁夫は言った。

「世人がすべて濁っているならば、自分も一緒に
泥の中に入り、波を立てればいいではないですか。
人々が皆酔っているなら、自分も酔えばいいでは
ないですか。川の水が澄んだら、冠の紐を洗うが
よい、川の水が濁っていれば、自分の泥足を洗うが
よい。泥水で冠を洗おうとするから悩むのだ」と。

屈原は漁夫の言葉に耳をかさず、ベキラの淵に身を
投じた。

一休はこの屈原の故事を愛した。一休も20歳の時
瀬田川に入水している。そして屈原が王の一族で
あったように、一休も天皇の子「王孫」であることを
意識している。

一休は、「民衆が飢え苦しんでいるのに、寺の坊主
達は皆、衣食住に困らず、親の地位と財力で出世
競争に明け暮れ、人々を救うこともしない」と怒り
嘆き悲しんでいたのだ。

私も屈原や一休に自分を照らして見てしまう。だから
引かれるのだ。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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